2024年5月31日金曜日

休題 その五百二十七


 Ynが竹富島から帰って来た。家は売って移住したので、取り敢えず川崎市江田でマンション暮らしである。ウチナンチュウは結局内地に帰って来るもんなんですなあ。

 で、七年振り(八年振りかな)に朋友達の旅行を行った。Kjは未だ宮崎なので、An夫婦EmYnと私の五人、欠員一名である。七年の歳月は大きい。皆さんぱっぱとは歩かない(歩けない)。驚く程食べた諸君も、普通に近い食事量になっている。年を取ったのはあたしだけではないのか(当たり前だ)。

 湯河原の小振りなホテルだったが、風呂場は壁を伝わって源泉が流れ、洗い場迄湯が流れる。源泉温度98℃、毎分400Lの湯量だから凄い。熱湯好きの人は大喜びだろう。我々はぬるい湯にゆっくり浸かる派なので、早々に出たが、芯から温まった。

 夕食後は恒例のウノ大会だが、Anが坐骨神経痛でリタイヤ、ウノの横で寝てしまった。あたしも坐骨神経痛で痛いが、An程ではない。彼は寝返りも大変だと言うから大変だ。

 四人のウノは調子が狂う。何時も負けてるYnが大勝ち、何時もとんとんのEmはとんとん、何時も勝ち続けるAn夫人が負けて、大負けはあたし。たまにはこうでなくっちゃね。

 昔は夜中の一時頃迄やったが、十時過ぎには終わる。年ですなあ。それから風呂に行ったもんだが、風呂にも行かない。年ですなあ。

 翌日の昼飯は小田原の田毎で蕎麦と決まっているのだが、湯河原と小田原は近い。美術館に行くかと聞くと、皆行かないと言う。ものぐさ集団に堕しておる、年じゃ! 結局途中のデニーズでコーヒー、十一時半には田毎に着いた。我々が入るともう満員、次の人達は待っている。結局正解だった訳だ。それにしても人気店ですなあ。

 小田原で解散だが、七十代中半以上の仲間は病を抱える事が多くなる。動きも鈍くなる。今のうちに遊んでおかないと遊べなくなる、と本気で心配したです。

2024年5月28日火曜日

休題 その五百二十六


  今更だが、塩野七生(しおのななみ)の「ローマ人の物語」を読み始めた。全四十三冊だが、ポケットに入る厚さなので薄手である。未だポエニ戦争(ハンニバル戦争)の部分なので、ほんの始めの頃である。

 同時期に秦漢文明やペルシャ文明等もあったのに、ローマだけ特別視するのは西欧文明に重きを置く悪しき習慣だ、とは昔から聞いていた。でも、矢張りローマは別物だ。不完全乍ら民主制を採り、現代民主主義の元を造ったのは確かだ。その大本はギリシャ文明にあるのだが、後継して大きく纏めて行った。

 カンナエ(カンネ)でハンニバルに大敗した後が凄い。当時のローマは二人の執政官がトップであり、戦いには一人が二軍団を率いる。カンナエでは二人共執政官が出陣し四軍団で闘ったが、一人は戦死し一人はやっと逃げ延びた。その執政官は敗残兵と共に首都へ帰り着いたが、元老院議員をはじめとし全市民が城門で出迎え労をねぎらった。敗軍の将は死刑になるカルタゴとは、正反対である。

 記録では七万人もの戦死者を出したにも拘わらず、執政官への非難は一切なく、当然起こるであろう為政者への抗議も全く見られなかった、とある。

 ローマを如何にして守るか、に徹して対策を考え手を打った。失敗した人間を責めるより、現実をどうするかを重視したのだ。ローマの危機であったのだが、カルタゴにとってはチャンスである。処がカルタゴは無策で時間を空費した。ハンニバルは孤立した戦いを続け、策源地のスペインを脅かされるに至る。

 現代の国々より理性的にローマは行動している。戦いは決して放棄しない。相手の弱点を探し出し的確に突く。今の日本にはとてもできそうにもないですな。

 ローマの市民権を持った者は戦う義務があり、それは名誉である。自らは戦わず傭兵に頼ったカルタは、負けるべくして負けたと言うべきか。我が国はどうなんだろうか。

2024年5月25日土曜日

閑話 その四百五十


  今年のGW(ゴールデンウイーク)は無理すりゃ十連休、まあまあの天気だったお陰で(?)過去最多の遭難件数になった。遭難件数百八十件、死者十二名、負傷者九十二名、行方不明者三名、五十代以上で七割となった。長野県がトップ、北、中央アルプスに八ヶ岳があるので仕方ない。上の写真は無断拝借です(ペコリ)。

 滑落死九名、病死二名、不明一名となっている。病死と言うのが解せないが、年配者ならあり得るのだろう。北穂沢で五十代の女性が滑落死したが、あの急な雪で滑落したと思うとゾッとする。ストップは効かなかったのだろうか。転がったらストップは無理か。

 救助された事故の方が圧倒的に多いのだが、準備・装備不足が多いとある。例えば、奥穂のロバの耳で動けなくなった男性を救助したが、疲労と装備不足との発表だった。上級ルートでの装備不足って何だろう?蝶ヶ岳では男性二人が行動不能になり救助されたが、ピッケルもアイゼンも持っていなかった。GW北アルプスに来てはいけない人達だったのだ。酷い言い方だって?携帯を持ってなくて夜になれば命に関わるよ、どうせビバークの用意もないに決まってるんだから。それも酷い言い方?フン、正直で済みませんでしたね。

 遭難者の七割が登山届を出していなかった。GWの山を甘く見てる証拠だろう。夏山と同じ感覚で入山してるといか思えない。北アルプスは未だ雪山なのだ。中央や南もね。

 携帯の電波が通じる様になったのが原因の一つだろうか。登って見て、駄目だとなれば携帯で助けを呼べる、そんな気持ちはないと思いたいんだけどね。でも、そんな遭難がゴロゴロしている。

 既述だが、山は畏れる場所ではなくフィールドになったのだと思っている。トラックや公道の延長って事。いつでも町に戻れるって感覚だ。畏れを持たない登山は、古い人間には恐ろしく感じられるのです。