2024年8月20日火曜日

閑話 その四百五十八

 


 十二年前の五月、ゴールデンウィークの白馬岳での遭難は書いたっけ?忘れてもうたで、ダブってたらご容赦でっせ。写真は白馬山頂、無断借用でして、済みません(ぺこり)。

 九州の医師六人、六十代と七十代のパーティで、一人だけ登山歴が浅いが他の五人はベテランと言っても良い人達、それが全滅してしまったのだ。

 栂池ヒュッテに泊まって、翌日白馬山荘迄行く予定だったのだから、ファイト満々だったのだろう。翌朝出発時は晴天、汗ばむ様な気候だったと言う。これがゴールデンウィークの山の恐ろしさ、突然足元の雪がバリバリと凍る天気の激変があるのだ。

 白馬大池が十一時、六時間を費やしている。年齢を考えれば妥当な処だが、これじゃあ白馬山荘には着けないと分かるでしょうが! ベテランが五人もいるんだからさあ……。

 速めに出発した二人連れが小蓮華迄行って、天候が悪くなったので引き返して白馬大池で医師パーティと会った。引き返す事を薦めたが「大丈夫です」と答えた。何が大丈夫なんだよ! 済みません、つい頭に来ちまって。

 白馬岳から下って来た十人のパーティが、小蓮華を下った所で医師パーティと擦れ違った。明らかに疲れていて、一人は荷物を仲間に持って貰っていた。「先生、どうします」との言葉が聞こえたと言う。前進か後退か相談していたのだろう。前進なんてできる状態かよ!! あたしの態度は失礼極まりないだろうが、おらあ頭に来たんだよ!

 そしてお決まりの天気急変、猛吹雪だ。十人のパーティはそれから十分後に猛吹雪に襲われた。それは医師パーティにも襲い掛かった。立山の話と同じく、完全な装備を身に着ける間もなく、着の身着の侭に氷漬けになって発見された。何で防寒着を着なかったんだ。何より、何で疲れ切っても、天候悪化を告げられても前進するんだ!!! 結果は氷漬けだ。判断できるだろうにと頭に来てるですよ。そして、そんなとこで何で死に急ぐんだと可哀そうです。

2024年8月17日土曜日

休題 その五百三十九

 


 ウクライナの防衛戦争も随分長く続いている。ロシアは民間施設を遠慮なく狙うので、後方だからと言って油断はできない。それでも前の戦争の時の米軍の様に、都市ごと焼き尽くす悪逆非道迄はやらない(やれない)ので、当時の日本よりは増しだろう。

 東部戦線でジワジワ押されている。ロシア軍は損害を覚悟で攻め続ける。囚人兵はほぼ出尽くして、ロシア辺境の貧しい少数民族の若者を金で釣って兵隊にし、貧しい他国の若者に良い仕事があると誘って戦場に送るなぞ、ロシア軍も人員確保には苦労している。犠牲になるのは貧しい若者、それも非ロシア人が圧倒的に多そうだ。遥かな他国で行われてい”特別軍事作戦”は、ロシア人には遠い出来事だった。

 それが何と、ウクライナ軍がクルスク州へ攻め込んだ。攻めばかりを考えていたロシアは本国を攻められるとは考えてなかった。為に怒涛の進撃を許し、1150㎢を占領されて八十二の集落もその中にある。前線の部隊は小規模で、士気も高くなさそうだ。幾つかロシア軍の拠点を占領し、碌に抵抗もせずに降伏する兵が多く、数百人の捕虜を得た様だ。

 ロシア人にとって”遠い戦争”ではなくなったですなあ。あちこちから部隊を引き抜いてクルスクへ回すだろうから、もう電撃的侵攻は不可能だ。ロシア国内の戦いが長引けば、プーチンに対する非難の声も上がるだろう。追い出そうとするロシア軍を叩くだけ叩こうと言う作戦ではないかな。用意して待ってる方が、戦闘では絶対的に有利だからだ。そしてウクライナ軍が後退を余儀なくされても、自国領を失う訳ではない。

 大量の捕虜はロシア占領下地域の自国民と交換の材料になる。クルスクに配置されていたのは徴兵なので、ロシア人の若者だ。碌に訓練も受けておらず、やる気もない。侵入軍が巧く撤退して(これが難しい)、結果ロシアが混乱すれば上出来な作戦です。

2024年8月14日水曜日

閑話 その四百五十七

 


 ユーチューブで山岳遭難を取り上げる番組(?)が多いとは前に書いた。昭和三十年代、四十年代の遭難も多くなった。その頃が遭難多発時期なので、当然とは言える。

 気になるのは、造り手が当時の装備を理解してないのではと思わされる事だ。テントやザックの絵が今風なのは良い。当時のテントが棉布製で、ポールと張り綱で立てた事は分ってるのかな?風に弱く、雨が漏るって知ってるのかな?冬山で濡れるとバリバリに凍るって知ってるのかな?

 ザックも今風の絵なのは良い。帆布のキスリング自体が重く、パッキンに技術が必要で、縦走には超大型(72㎝)が体からはみ出していたなんて知らないのでは?

 雨具も棉布製で雨が沁み込むのだ。だから夏はビニール製のポンチョを使った。風が吹いたらどうするって?びしょ濡れになるのだ。

 アイゼンも今の様なワンタッチではない。アイゼンバンドで締め上げる。雪用のスパッツだって綿布で、紐で縛るのだ。濡らしたらガチガチになっちまう。オーバーミトンが革製だったとは、既述ですね。

 火器だってガソリンか軽油を燃やす。固形燃料で予熱を掛け、ここぞと言う時にポンプで空気を入れて点火する。いやあ、手間が掛かって且つ重いものだった。

 全てが機能が低く(驚く程ですぞ)重い。一寸とした縦走や冬山は、30Kgのキスリングが当たり前だった。羽毛のシェラフはあった。ダウンではなく軍用なので、保温力は低くて重い。噂では、朝鮮戦争の米兵の死体を入れた物を払い下げたのだと。あたしのもそうだったのかも知れない。

 今の装備の感覚で当時の遭難を語るのを見ると、何か違和感を感じてしまう。当時の山は今とは比べ物にならない、面倒で細かい苦労があったのだ。当時に今の装備があったなら、遭難はぐんと減っていたのは間違いないでしょう。恵まれた時代になりましたな。