2026年4月6日月曜日

閑話番外 その百九十四

 


 ラベル「上越国境稜線」で二十年以上掛けて上越国境を98%歩いた話を書いた。残った2%は景鶴山で、尾瀬に着けばOKと決めていたのでそれで宜しいのだ。

 最大難関区間が大水上山から尾瀬で、山中四泊を掛けた。あたしが五十九才の時だから、同行のYは五十一才、今年が最後のチャンスだから行くぞ、と強行したのだ。そしてそれは正しかった。もう二つ三つ年を取っていたら、四泊では歩き通せなかっただろう。その時ですら最後の鳩待峠への僅かな登りで、Yは息も絶え絶えの有様だったのだから。

 兎に角荷物は減らせ、不要な物は一切持つな、ランタンなんていらん、ローソクで充分だ。灰皿の瓶もいらん、携帯灰皿で良い。酒もウイスキーだ、チュー缶は一日一本だ! と、全力で荷を軽くしたですよ。

 「上越国境稜線」ではあっさりと全体像を書いているが、長丁場なので結構色々面白い事もあった。大水上山からの灌木便りの下り(物凄く急で、トラバースをし乍らなの)でYはサングラスを枝に弾き飛ばされた。普通は好天の雪山でサングラスがなければ目をやられる。幸いな事にYは目が細い。更に目を細めて事なきを得た。エスキモーがスリットをサングラス代わりにするあれである。

 山中二泊目は偽藤原山だった。頂上は狭く笹が出ている。後は緩い雪の斜面だ。斜面にテントを張ろうとするとYは笹の上が良いと言う。斜面は不安だったのだろう。結局笹の上のテント、ゆさゆさするあれである。生活し辛い事この上なしだ。鍋は常に手で持っていなければならない。動く時も声を掛け合って気を付ける。全くもう。。。。。

 とか言い乍らも楽しい我が家である。天気には恵まれているし、風も大して吹かない。天気が崩れれば動けなくなる。少々の不自由が何さ、なんですよ。雪山に囲まれてのテント生活の日々、天国でしたなあ。

2026年4月3日金曜日

閑話 その五百三十二


 

 雨が続いたが今日は快晴、弘法山ルートに行って来ました。好天の上に桜の盛り、皆さん狙いは同じで山道に掛かる迄に十人程抜いた。単独は二人だけでグループが多い。

 山道に入ったら行列、休日のバカ尾根状態である。一つグループを抜くと直ぐ次のグループについてしまう。カーブで抜くか、気付いてくれて道を譲ってくれる。そんなかんやで思う様に進めない。

  権現山頂上も人が一杯。

 

 

 桜の上は青空だ。


 

 弘法山へ向かう道も人人人。


 

 弘法山も人が多かったが、その先へ進む人は、そうねえ、二十分の一以下だろうか。塔から先へ進む人がガクッと減るのと同じだ。スケールは桁違いだけどねw

 下りに掛かっても数パーティを抜く。弘法山ルートでは、あたしゃ無双状態だ。里山で何言ってんだなんだけど、スズキ自動車方式ですな。日本や大きな国では勝負にならないから、小国でNo.1になる。それをハンガリーでやり遂げた。一国でNo.1になる、それは社員の誇りにも自信にもなる訳だ。今じゃ大国インドでもNo.1になった。逸早く脱シナ脱アメリカに踏み切ったのは凄い。

 弘法山を越えると桜はなく、新緑である。


 

 暫くで四十才位のガッチリした男性に抜かれた。見る見る離される。スズキ自動車方式はあっけなく消え去った。体力が違い過ぎる、現役は強いですなあ。あたしも昔はああだったのだ。いまじゃあ、オンボロボーローロー

 四十代と思われる十人以上のパーティと擦れ違った。こちらの諸君はのんびりと歩いている。しかし、あの大パーティは何だったのだろう? 何かなんでしょうよ。

 前後するパーティがいないので歩が進む。No.1は逃したがNo.2でも良しとしましょう。こうして歩けるだけでも見っけもんだ。一時は悪化した喘息も収まったってこってす。