2018年7月18日水曜日

どうしよう! その十三



 ウロウロ(必死だったけどね)探し回ってやっと雪橋を見つけた。それが今にも崩れそうなの。もう垂れ下がり掛けていて、真ん中には筋が入って色も茶色っぽく変わっているのだ。一寸と力を掛けるとガラッと崩れますよー、と言ってる様だった。
 雪渓の様な急斜面と違って平地なので、流れに落ちても助かる確率は(多分)生じるだろうが、私の歳なら40%以下だろう。もっと低いかもですなあ。
 併し選択肢は無い。そのヤバい橋を渡るの一手なのだ。一瞬は引き返しも考えたけど、迷ったあげくに渡りました。ゆっくりはできないし、のんびりもできない。
 余計な負荷を掛けない様に、そろりそろりと細心の注意を払って慌てずに急いで渡る。渡り切ったらホッとして、大きくため息をついちまったぜ。
 渡渉の事故と雪渓での事故はたまに聞く。まず間違いなく死亡である。水温が非常に低いので数分で駄目だそうだ。あんな冷たそうな雪解け水じゃ、さもありなん、である。二度と崩れかけた雪橋は御免だ!
 あーやだやだ、とか言い乍ら、此の手の話を書くのは、思い出してゾーッとし乍らも変に楽しい。それに書いてる時の酒も旨いし。ヤバイ状況は、あとからしみじみ思うもの~♪
って事なんだろうか。過ぎて仕舞えば皆美しいってね。
 まあ、良い思い出でになる事は間違いないので、是非皆さんにもお奨め、……出来っこないですなあ。こんなバカを薦めたら警察行きになっちまうぜ。
 良い子の皆さんは、是非とも以上の様な真似はなさらない様に願います。する訳ないだろうけど念の為。ひょっとすると私が様なおバカもいるかも知れないし。え、いないって?
 徹頭徹尾バカな話ばかりでした。まともな話の一つも無くて、御免ね!
 (この章終わり)

2018年7月14日土曜日

どうしよう! その十二




 その一番低い部分は、苗場プリンスから雪道を歩き登山道へと入るのだが、雪で路なんて全く分からないのは常の通りだ。問題なのは国境稜線に取り付くには川を渡らなければならない事だ。
 地図では丸木橋ありとなっているが、雪で落ちちゃってるに決まってる。現に幾ら探してもない。夏なら渡渉も可能かも知れないが、大きくもない流れでも、雪解けで増水して渦を巻いて流れている。
 前年にYと三坂峠近くへ登った時は雪橋が其処らじゅうに掛かっていた。雪橋ってなあに? って思う人がいるだろうから説明しよう。豪雪地帯では川も雪の下になる。勿論水は流れている。春が来て雪が締まって来ると流れの上の雪も締まる。詰まり雪渓となる。
 春の上越の沢で(上越でなくてもだけどね)、それを踏み抜いて流れに落ちたらまず助からない。絶対に助からないが正しいだろう。雪渓の薄い部分があちこち崩れ落ちて、残った雪の部分が橋の様になる。それが雪橋だ。
 で、その単独行だった年は雪橋が無かったのだ。とてもじゃないがザックを背負って飛び越せる幅ではない。渡れなければすごすごと苗場プリンスへ帰るのみだ。
 最初に単独で山中二泊して越後湯沢でYと落ち合い、一晩駅で寝てから更に山中二泊する予定だったので食料は六日分担いでいる。今更どのツラ下げて帰れますか! 絶対に渡ってやるんだ。

2018年7月10日火曜日

どうしよう! その十一



 お次も既述だもんだが良いやね。食べ物の話だでよぉ。零細山岳会の奥秩父縦走の話だがね。知っとる人はスルーしてちょうよ。
 先遣隊のNと私は食糧不足で大荷物を担いで金峰山から入った。何故食糧不足? 私が丸々食料を家に置いて行ったから(涙)。
 腹が減ってるので、国士岳を越えた狭い稜線上で力尽きた。六~七人用の大きくて重い綿布のテントを張る。道の上からはみ出してみっともないが仕方ない。もう夕方なので来る人はないだろうから、迷惑にならないだけが救いだ。
 二人なのに何ででっかいテント? 先遣隊なのでメインテントを担いでいたのだ。次の幕営地に行き着く予定だったので、水は行動水(?)のみ。一合強の米をおかゆにして、量を増して二人分とするのだ。従って腹が減る。Nよ御免。
 おかゆの味付けに袋の塩を入れるのだが、私が間抜けにも袋の底を叩いたもんでばさっと入って仕舞った。あ、バカ、どうすんだよー! 
 本当にバカです。一体どうしてこんなにもバカに育っちまったのかねえ(もう何度目か分からない涙)。
 どう仕様も無い。入った塩袋に戻らずだ。無闇と塩辛いおかゆを食べて寝たのだが、飲む水も無い。翌日幕営地に着く迄の渇きは一級品で有った。草の露迄飲んだんだもんねえ。Nよ、改めて御免!
 ヤバくもないって? まあそう言われればそうなんだよね。水場のありかは分かってんだから、辿り着けば良いだけの事で、でも、本人達は相当辛かったのでご勘弁を。
 それでは地味にヤバい奴を。山の報告 稲包山で軽く触れて居る雪橋渡りだ。三坂峠から三国峠間の、上越国境稜線の一番低い地点が、私の上越稜線最終区間であったのはラベル「上越国境」に書いた通りだ。

2018年7月7日土曜日

どうしよう! その十



 “山の報告 白砂山Ⅰ”の藪も凄かった。白砂山から稲包山の主稜線は未だ良い。極たまに大学パーティが藪漕ぎ山行を行う様だ。何と物好きな! え、私が言うかって? そうだよねえ(忸怩)。
 私とYが登ったのは、主稜線では無く枝尾根で有る。しかも飛んでもない藪尾根。下手すると今迄人が通ったのは、数度なのでは?マタギとか変人とか。或いは初登りの可能性も有りってかな。いや、その可能性は極めて大だと思うなあ。
 木々と篠竹と笹が絡み合って居る。蔦迄有る。こじ開けて進むしか無いのだ。難行苦行とは此の事だ。腰迄のラッセルと変わらない。そして延々と続くのだ。いつ果てるとも知れない密藪漕ぎ。。。。
 十五時を大分回って、やっとこさテントを張れる雪面に着けたが、これは極めてラッキーだった。さもなければ密藪の中でテントを被って暮らす事になった筈だ。そうなっても命に別状は無いが、酷く悲しい状況だったろう。水だって手持ちの僅かなものだったし。あの藪は実に一級品でした。
 山で大切な物は多すぎて困るが、口にするものだったら、水だろう。水が無ければ万事終了、どんなに最新の食料が有っても戻せない。従って終了ってこってす。くどい? 其れ程は酔ってないよ♪

2018年7月4日水曜日

どうしよう! その九



 上越の話を続けよう。勿論既述だけどね。どうせ覚えちゃ居ねえってさあ♪ 未だそうは酔ってませんよ~。
 悪天候の中、谷川岳に登った。春なので雪の中だ。濃いガスだもんで、2mも視界は効かないのだ。雨風は容赦無く吹き付ける。小屋を必死に探した。勿論無人の冬季小屋だが、見つければ間違いなく命が助かる。
 文字通りの彷徨でした。無闇と歩き回るだけ。気持ちばかり焦っても駄目なものは駄目。何も見えない斜面を風に吹かれ雨に打たれてうろついて居たら胴震いが来た、危険信号だ。もうじき死にますよ、って言う恐ろしい信号だ。嬉しい、とても嬉しい。
 躊躇してられないんだ、そんな時は。斜面にザックを降ろしてテントを引っ張り出して頭から被った。手はかじかんで碌に動かないけどもが、其れが何さ、偉くヤバイ状況なんだからさぁ。
 テントを張るなんざ不可能だ。被るだけ。それでも雨風は防げる。そしてバーナーに火を点ける。文明の利器ですなあ、暖を取って、生き延びる事が出来た。結構厳しかったけど。生きて帰れて良かった、ってこってす。
 あの時は清水峠への縦走のつもりだったので、幕営具一式を背負って居たが、冬季小屋と避難小屋を当てにして、テントが無かったらどうなって居ただろう。ひょっとしたら、こんな愚ログは書いては居ない(書けない)筈だ。小屋を当てにするにしても、ツェルトだけは持参が原則だろう。少なくとも雪山に入る限りは。