2015年5月15日金曜日

雪山賛歌 その十一




●民謡
☆山小屋(独、学生歌の替え歌)
 山路の道をはるばる越えて 暖炉を今宵みんなで囲む
 (学生歌って、知らない人も居るだろう。
我が行く道は 遥けきかなた のドイツの歌だ。え、分からない?仕方無いです)
●山の歌
 (「や行」なので、山の歌は一番多いのだ。何故だって?山の「や」だから!)
☆山男の歌
 娘さんよく聞けよ 山男にゃ惚れるなよ
 (此れも山の歌の横綱格。ダークダックスは、山の歌を良く歌ってくれました)
☆山小屋の灯
 たそがれの灯は はるかにともりて なつかしき山小舎は
 (米山正雄の曲。林檎追分や森の水車小屋の作曲者だが、格調高いのだ、古関祐而には一寸と届かないけど)
☆山の子の歌
 歌声が歌声が あの小道にひびけば あの森かげあの谷間
☆山の友よ(成蹊大学、虹芝寮歌)
 薪割り飯炊き小屋掃除 みんなでみんなでやったっけ
 (山では一番有名な寮歌だろう。成蹊出身の高校同期生に聞いた、虹芝寮って未だ有るの?答えは「そんなの知らないな」、ふん、そうかよ、階段で転んじまえ!)
☆山の人気者
 山の人気者 それはミルク屋 朝から晩まで 歌をふりまく
☆山のロザリア
 山の娘ロザリア いつも独り歌うよ
☆ゆかいに歩けば
 ゆかいに歩けば歌もはずむ お日様キラキラ 風も清い
 (此の三曲は、民謡でも良い。スイス、ロシア、米で有る。でも、山の歌として認知されて居る(当時は居た、が正しい?)ので、此処に入れたのだ)

◎「ら行」
●流行り歌
☆リンゴ追分
 林檎の花びらが 風に散ったよな
 (此れも、米山正雄だ)
☆リンゴの唄
 赤いリンゴにくちびる寄せて 黙って見ている青い空
 (雪山賛歌 その十二へ続く)

2015年5月12日火曜日

閑話 その百五十六




 前章の続きのヒネゴ沢。詰め上げは高松山だ。ハイカーがどんどん登って来る。其処に泥だらけでズタズタの男が居る訳だ。おいおい、怪しい奴と思われるぞ。
 下りも変な事をしてる。ビリ堂から伐採地を西に向かい、途中から強引に林道に下って暫く歩き、また藪に飛び込んで滝沢に沿って下った、と有る。
 うーん、こりゃ駄目だ。殆ど病気の人間しか思いつかないルートだ。兎に角ズボンもシャツも、ビリビリになった記憶は有る。
 又5月、此れで5月四回目の山だ。Yと車でユーシンに入った。当時は車で入れたのだ。今じゃあユーシンは遠いとこになっちまった。
 単独行者二人を拾った、と有る。思い出した、二十代の娘さんと五十位の男性だ。なっがーい林道だ、「ユーシン迄乗りますか」と声を掛けるべきだとあたしは思っている。現に二人とも喜んでくれた。
 我々は金山谷ノ頭への廃道を行った。其の侭蛭へ登って泊まった。三十人の宿泊者で一杯だったそうだ。翌日は塔へ行き、鍋割を回ってからスズタケを漕いで尾根通しに下り、林道に降りてユーシンへ戻った。
いやいや、今なら塔から真っ直ぐユーシンへ下るのでやっとだろう。なにを好んで路無き尾根で苦労するんだ。詰まり、二人とも若かったってこってすなあ(遠い目)。
 六月です。又Yを連れ出して、台風が接近してるってえのに権現山の寺の沢に入った。馬鹿ですなあ。雨の沢は増水して、滝を越すのも容易ではない。凄い水量を受けなけりゃならない。結局尾根に逃げたと言うお粗末。
 此の時全身に水を浴び、煙草が死んだ話は本文に書いた。Yの予備の煙草を貰って、雨を避け乍ら火を点けて吸ったのは、鮮明に覚えている。下らない事程、覚えてるもんなんですね。(続)

2015年5月6日水曜日

雪山賛歌 その十



●民謡
☆モスクワ郊外の夕べ(ロシア)
 ざわめきもいまはなく ものみなまどろむ
☆森へ行きましょう娘さん(ポーランド)
 森へ行きましょう娘さん 鳥が鳴くあの森
●山の歌
☆むかしむかし(大学祝典序曲の替え歌)
 むかしむかし あるところに 登山者という 変な人種があったとさ
 (余りにマイナーな歌、失礼。でも、知ってる人は知ってるんです)
☆燃えろよ燃えろよ
 燃えろよ燃えろよ 炎よ燃えろ
 (此れこそ、昭和から平成に至る迄、キャンプファイヤーの定番)
☆森のくまさん
 ある日森の中 熊さんに 出会った
 (私は此の歌をどうしようかと思ったが外すには有名過ぎる。私の好みで言えば偽善的で鼻持ちならない。じゃあ外せよ!はい……)

◎「や行」
●流行り歌
☆雪の降る街を
 雪の降る街を 雪の降る街を 想い出だけが通りすぎてゆく
 (此れで中田喜直氏の、三季の歌が揃った訳で、とても目出度い)
☆雪山に消えたあいつ
 山が命と笑ったあいつ 山を一番愛したあいつ 雪の穂高よ答えておくれ
 (山の歌に分類すべきだったかも知れない)
☆夜明けのスキャット
 らーらーらららー らーらーらららー
 (最近、突然世界的になって驚いた。懐かしく、且つ好きな歌です)
☆喜びも悲しみも幾年月
 おいら岬の 灯台守は 妻と二人で 沖ゆく船の
 (木下恵介の作品の主題歌だけど、普遍的な歌になった(昔の事)。でも、未だに人の琴線に触れる筈でしょう)
 (雪山賛歌 その十一へ続く)

2015年5月3日日曜日

閑話 その百五十五




 平成元年の登山記録を追っている。今は未だ山を登れないので、夢は枯野をかけめぐるって事なんです(涙)。
 五月、春山じゃい! 二日から五日迄で、巻機山から丹後山へ縦走した。二日は越後湯沢駅泊まり。夜中に二本も臨時スキー列車が着き、ガヤガヤと寝てられない、と有る。
 三日、清水部落へJRとバスで入る。スキーヤーに交じって山頂へ向かう。好天だ。頂上で天候激変、見る見る雪が凍って仕舞ったのは、本文の通り。
 巻機山から丹後山は登山道ではない。雪が有るから通過出来るのだ。詳しい事は「我がロマンチック街道」でどうぞ。
 三泊三日でやったのだが、歳を考えれば当然の事。今とは違うのだ。今ならそうねえ、五泊五日位かな。
  さて、同じ五月。上越縦走を終えて、Yと道志から城ヶ尾峠入口へ車で入り、峠から大界木山へ、其処から鳥ノ胸(とんのむね)へ尾根を辿った。今の地図では登山道だが、当時は道の記載は無しだ。
 日帰りだが、新緑については何も触れてない。未だ新緑の素晴らしさが分からなかったのだろう。
 此の年の五月は忙しい。一三日にヒネゴ沢なんて訳の分からん沢を登って居る。それも寄手前の田代向うでバスを降り、シダンゴ山を宮地山入口迄登って小沢を下って林道を行き、ヒネゴ沢へ入って居る。
 何でそんな馬鹿をやってるかと言うと、シダンゴ山に登った時、宮地山入口から宮地山へ行った為に、バス停からの区間が空白なのだ。で、其れを埋めたのだが、アホじゃ。
 両側が藪で流れは細く、やりにくい沢で、藪のお蔭で手はズタズタ、ズボンはビリビリと有る。頼まれたわけでもなく、好きでやってんのだから、文句は有るまいて。(続)