2015年8月16日日曜日

又酔っ払って書いちゃった その二




 次女を冬の塔ノ嶽へ連れて行くので、軽アイゼンを買わせた。四本爪で良いから、と言ったので、次女は四本爪を買って来た。
 な、何だ、此のチャチイのは。ゴムで留める方式なので着脱はとても簡易で良いが、見方を変えれば、外れ易いと言う事なのだ。だから、アイゼンを片方無くした、と言う人が居た訳だ。そらあ、直ぐに外れるよな。一目で分かる、雪山の経験者なら。
 其れは未だ良い。何より良く無いのは、爪が短い。3cm近くしか無い。私の旧タイプの奴は、ワイヤーで留めるし、爪は5cmは有る。従って、固い雪も確りと噛む。
 僅か2cm一寸との差って有るの?と思う人は、正常な疑問を抱いた雪山未経験者です。其の2cm一寸との差が物を言う、と知って居るのは、雪山経験者です。
 次女に店員は六本爪を薦めたそうだ。四本爪の事を、お守り位にはなりますが、と言ったそうだから、確り分かってらっしゃるじゃんかさあ。流石に山専門店だ。
 幸い急峻な雪道では無かったから、支障は生じなかった。此れが一寸と雪の様子が変わって居たら、本当にお守りにしかならなかっただろう。
 其の、山専門店に聞こう。
 何で、そんな役に立たないで有ろう物を仕入れるのかい。幾ら軽だって、アイゼンはアイゼンだ。確り雪を噛むのが仕事でしょうが。碌に雪も噛まないアイゼンを売る根性が、全く分からんのじゃ。
 馬鹿が、専門店の癖に、店員も役にも立たないと分かって居るのに(店員は皆山屋だ)、下らん物を売って、事故が起きても知らん顔ってこったかよ!!!
 酷い言い方、失礼しましたです。何せ、酔っ払いの戯言(たわごと)とは、はなから断ってます。とか言って(たわごと)とか括弧を付けるんだから、矛盾してますなあ。はっはっはっは。
 (又酔っ払って書いちゃった その三へ続く)

2015年8月9日日曜日

休題 その百五十




 母はどうしてか東宝に入った。踊り子が俳優になった。でも、何故だか日活に移った。経緯は聞いた筈だが、覚えて居ない。三度言う。おらあ親不孝者だ。
 母が褒めて居たのは石原裕次郎、気さくで、調布へ向かう土手を歩いて居ると、「三船さん、乗って」と、よく車に乗せてくれたそうだ。まあ、母はズバッと物を言う人間だから、好かれる人には良いが、嫌われる事も有っただろう。母が褒める人は、裏表の無い人だ。
 其れだけは、不明で親不孝のあたしにも、はっきりと分かる。
 外に母が褒めて居た人は、浅岡ルリ子、津川雅彦、長門博之、etc.嫌って居たのは吉永小百合。性質が悪くて生意気で気が強くて自分勝手で、etc.
 詰まり、そうでなきゃあ大女優とはなれない世界なのだ。
吉永小百合が未だに当時の印象を保持して居るのは、賞賛に値する。本質は変わらないのだろうけどね。
 日活に入って、母は日本舞踊に出会った。役の上で必要だったのだろう。そして気付いた、洋舞とは比較にならない奥深さが有ると。
 母が出会ったのは水木流と言う、(多分)一番上品な流派だった。花柳流は外連味が有って下品よ、とは良く母の口にした言葉だ。そして母は日舞に専心し、師範になった。
 映画で日舞の振り付けも相当やったらしい。母を気に入ってくれる監督も居て、無理やりにでも役を付けてくれたそうだ。
 映画が斜陽となり、日活もポルノ路線に移る時に、母は日活を辞めた。あたしが高校生の時だ。十四、五歳からの芸能生活と別れを告げ、堅気の人間として生を全うした。
 あたしが退職して水道局の下請け会社に居た時、宍戸譲の家に検針に行った。痩せて仕舞った彼は、時間通り門を開け待って居た。
 宍戸さん、私は三船の倅です、と此処まで出て、言わなかった。話が通じないかも知れないのをと、通じた時には時間を食うのを嫌ったのだ。次に行く現場も有るので。
 名乗るべきだったと、今更乍ら思って居る。最後迄、親不孝者だ。

2015年8月5日水曜日

又酔っ払って書いちゃった その一




 前にも有ったけど、酔っ払った親父が四の五の言う章なんで、まともな方はスルーしてちょうよ。後でどうこう言っても知ったこっちゃ無いからね♪
 腰が痛い、背中の筋肉が固まる、と辛がって居るので、妻に付き合ってリハビリの為に山に行く事は、本文以外に何度も書いた。
 歩き乍ら、山女(山ガール)のスタイルを話すと、私もスパッツと半ズボンを買う、と言い出した。おいおい、リハビリの身だぞ、恰好なんざどうでも良いだろがよ。
 此処で女心を分かって無い、と怒ってはいけない。酔ってても其の位分かってますって。
山女がどうのこうのと言う気は更々無く、逆にうんと応援して居るのは、此の愚ログをちゃんと読んで貰えば一目瞭然の事だ、エッ ヘン(威張る事かい?当然良いの!!)。
 妻が其のスタイルになったって、(他人はどう見るかは別にして)全くOK。現に年代に関係無くスタンダードになりつつ有るのだ。
 問題は靴だ。私が高校生の頃は、ボーイスカウトだろうと、ハイカーだろうと、ゴムとナイロン製のキャバンシューズだった。安くて丈夫な優れものだ。
 勿論今は廃版で有る。靴売り場に並ぶのはゴア製の洒落た物ばかり。革靴でさえ、隅に少々有るのみだ。ゴアは軽くて良いのだが、どんどん劣化する。乱暴に使えば五年が良い
とこだろう。大事に使っても、五年以上で防水力が失われる。
 詰まり使い捨てって事だ。Yは二足革靴を持って居るが、沢だろうと雪だろうと藪だろうとガレだろうと、革靴達は立派に耐え抜いて居る。靴底のビブラムは張り替えるが、一生ものなのだ。
 それでこそ山靴でしょう! 見掛けが良くて軽くて履き良くても(其れは良いなあ、今度ゴアを買うか。あ、冗談っすよ)、山道具の基本中の基本、山靴を使い捨てるなぞ、市中引き回しの上、獄門じゃあ!馬鹿野郎!!
 (又酔っ払って書いちゃった その二へ続く)

2015年8月2日日曜日

休題 その百四十九




 母は、十五歳(十四歳だったかな)の時に河上鈴子の内弟子になった。河上鈴子は、スペイン舞踊の草分けで、晩年に叙勲して居る。
 親族の言う処では、飛んでも無い不良娘だった様だ。本人が言うには、不良どこじゃない、そりゃあ滅茶苦茶辛い修行だった、スパニッシュは勿論、箸の上げ下げ迄厳しく躾られた、偉く大変だったと。
 立場の違いで有って、双方とも正しいのだろう。母が親族では異端児で、外の親族は真面目一方なのだから。誰のDNA?祖父だろう。母が祖父の血を引いたのだ。だから、厳格な祖父が、母の内弟子を許したのだろう。
 内弟子を卒業してから、新宿の赤い風車のムーランルージュで踊って居た様だ。新聞にも何度か取り上げられたと話して居たが、又言ってらあと、碌に耳を傾けなかった。
 あたしゃあ本当に親不孝者だ。今になって聞きたくとも、母は居ない。
 其の頃満州へ慰問団として行った。チチハルだかハイラルだか、兎に角最前線迄行った様だ。辺境の関東軍には、226事件の関係将校が流されて居て、もう本土には帰れないと泣いた、と語って居た。
 馬鹿で不明ななあたしは聞き流して居た。歴史の生き証人の話をだ。再び言う。あたしゃあ親不孝者だ。。。。。
 母は慰問団の中では最年少だったらしい。当然、将官佐官の部屋へ呼ばれ、モテモテだったらしい。従兵が酒や料理を出して居る。勿論、宴会場のボーイなので、飲み食いは出来ない。あかぎれの切れた手で働いて居る。
 母は「あの兵隊さんに一杯差し上げて良いですか?」と言う。偉いさんも、花形には逆らえない。「良いよ」となる。恐縮する兵士に酒を注いだそうだ。
 母の面目躍如だ。此の話は好きだった。母は漢気(?)が有った。尤も、其の兵隊さんが後でどんな目に会わされたかは分からない。
 戦後は、国策の慰問団として、全国を回った。娯楽が無くなったからだ。其処で父と出会った。父は役者で、母は踊り子で有る。
 母を一寸と語ろうと思ったら、長くなったので、続きましょう。