2009年3月14日土曜日

閑話 その十六

イラスト7

 

 本文の元になった原稿は、編集者の指摘で山用語に注釈を入れさせられたが、アップしている文章には、煩雑なのと此処に来る人には分かり切った事だと判断し除いて有る。
 併し山登りをしない人も来るので、簡単に説明をしておきましょう。
 草鞋、地下足袋、キスリング、ナーゲルについては章を設けて説明済みだからOK。
★ガレ。石や小石が斜面を構成している場所で、沢の詰め上げはほぼガレとなる。落石が起きやすく、のんびりしてはいけない場所。
★ザレ。ガレより細かい砂や土砂で構成された斜面で、とても嫌な場所。イラストの如くヤモリの様に張り付いて、場合によっては指をザレに突き込んで己を確保する。
★詰める。良く出て来るが、沢を登り稜線へ上がる行為を詰めると言う。非正規ルートの尾根を登る場合にも使用する。
★こぐ。藪を通過する行為と書いたが、バリエーションとして、這松こぎ。這松の上を通過する事だが足を取られて這う様に進まざるを得ず、キツイ、普段は無いが(這松を踏むなんて駄目です!彼等は1m成長するのに三十年も掛かるのだ)積雪期には嫌でも出会う。
 石楠花こぎ。石楠花を掻き分けて前進するのだが、粘り強い石楠花の抵抗でキツイ。
★ツェルト。非常用簡易テント。薄いナイロンかテトロン製で木に紐で掛けて使用するが、テント代わりにポールを立てて使用する事も有る。保温力は極めて弱いが有ると無いでは大違い、ローソクを立てれば其の温度だけでも天国と思える。
★ビバーク。不時露営の事で、予定以外の山中の宿泊。テントやツェルトが有れば上等だが、無い時は着るもの全てを身に着け、ザックに足を突っ込んで蹲って朝を待つ。
 夏だっから良かったが、新聞紙を敷いて其の上にゴロンと横になり寝た事が有ったが(ビバークした訳です)、明け方の寒さは耐えがたく、真ん丸くなってしまった。
★ラッセル。ラッセルカーと言えばお分かりでしょう。雪を掻いて進む行為。膝迄なら鬱陶しいだけだが、腰を超える積雪だと殆ど進めない。足元を固めて膝で前の雪を固め其処に足を置いて固め、と延々と続ける。
 正月の遠見尾根で一晩に1m以上降られてテントも埋められ、雪洞に入っていた単独行者は一晩中雪掻きをして騒いでいたが、お気の毒です。
 翌朝は快晴、他のパーティが出掛けるので付いて行ったが、各パーティが集まり二十人程の列になって全然進まない。白岳の急登で先頭はスコップを振るって悪戦苦闘、併し急斜面の為雪は胸を越えしかもフカフカの新雪なので前進不能、諦めた。
 関連用語にラッセル泥棒と言うのが有るが、ま、あたしの事で、人様のラッセルを利用させて貰うチャッカリ者。
★トレース。雪面に出来た人の通った跡。詰まり大小のラッセルの跡。
 長くなったので、続きは閑話十八で。

2009年3月13日金曜日

四つ目の峰は? その一

FH000159

 

 丹沢山から北東に伸びる、丹沢三ツ峰は七、八度歩いたが、下るばかりで、登った事がない。登りに取ると、さぞ辛かろうと思う。たまに登る人とすれ違うと、息も絶え絶えで、ああ気の毒にと、心から思える。きっと、登ったら本当に長い尾根だろう。
 五月には、シロヤシオツツジが綺麗だと、本では読んでいるのだが、残念ながら一度も咲いている時期に当たっていない。何故か秋に行く事が多い。
 三ツ峰というが、四つ峰なのだ。さて、これで三っつ目だと思うと、もう一つ有る。結構ショックである。同じ思いは、大勢している筈だけど、ひょっとして、貴方もそうじゃないですか?不思議な事に、何処から見ても綺麗な三ツ峰なのだ。四っつ目の峰は何処に行ってしまったのでしょうか?
 勿論日帰りは可能だが、若い人以外にはお薦めしない。大体忙しいし、とても勿体ない。走り抜けるには惜しい尾根なのだ。塔にでも丹沢山にでも泊まって朝を迎え、すがすがしく歩くところですよ。
 私事です。若い頃は日帰りで行って来て、お疲れ様で、終わりだった。五十過ぎて日帰りをこころみた、と思って下さい。結局やった訳なんですが……。
 前にも触れた通り、とことんふしだらに暮らしている男なので、私には似合わぬ気合を入れた。よし、久し振りに日帰り三ツ峰だ、頑張るぞ!
 大倉尾根も飛ばし(本人の感覚ですよ、人から見れば、飛ばすってなーに、の水準です)、丹沢山へも急ぎ(だから、ちっとも速くないんですから)、三ツ峰へかかった頃から膝が痛みだした。登りは良い。下りが、変に痛い。お馴染みのやつです。
 円山木ノ頭で若いカップルが休んでいた。「こんにちは」と声をかけたが、全く無視された。何だ変な奴らだ、と思って痛い膝をいたわり、ゆっくり下った。
 宮ヶ瀬間近になった時には、殆ど夕暮れが迫っていた。ところで、夕暮れといえば秋ですなあ。それは後程。
 今は宮ヶ瀬まで歩かなくても、三叉路というバス停が有り、しかもその前に飲み屋が有る(当時はなので、今は不明)、何たる幸せ。勿論一杯やりました。飲んだ後バス停で居合わしたパーティの話。
A「大丈夫かあの二人、未だ来ないが」
B「大丈夫だろう。どうしようもないさ」
C「日が暮れるな」
B「自業自得だよ、死にやしないって」
 あの二人?それはあの二人に決まってる。どうした?どうでも良いけど、袖すりあうのも他生(多少じゃなく他生、他の世界、詰まり前世の縁)の縁。 (四つ目の峰は? その二へ続く)

2009年3月10日火曜日

柄でも無い事 その一

店 008

 

 前の仕事は出張が多く、主に西に毎週の様に出掛けていた。名古屋の丸栄で何気無く陶器売り場を覗いたら、黄瀬戸のぐい飲みが手招きしており、其処から離れられなくなって、(あたしに取ってはだが)高価な其のぐい飲みを買ってしまった。其れが始まりで、焼き物の話です。
 其の前から陶器に興味は持ち始めていたのだが、本で見るか地方の店か美術館で見るだけで、自分で持つ積もりは無かった。好きなのは志野、備前で、黄瀬戸は何かなあ、と其の良さが分からなかったのだが、それが丸栄の出会いで変わったのだ。
 幸いで有る、西日本は焼き物の宝庫、瀬戸、多治見、常滑、京都、三重、金沢、越前、出石、丹波、布志名、備前、砥部、大谷、萩、唐津、有田、薩摩、小代、と近くに行った時は足を伸ばし、現地で焼き物を漁る事が出来るので、ラッキー此の上無し。
 何にでも目を配っていたら限が無いので徳利とぐい飲みに絞り(酒飲みなので)、一寸とコーヒーカップも視界に入れる。
 作者には拘らない、と言えば格好が良いが、正確には拘れない(高価なので)、自分が気に入った物が良い物なのだ。併しですよ、世の中は巧く出来ていると思ったのは、此れは良いと思える物はまず高価。とほほほ……。彼方此方で結構買い込んで無造作に並べ、普段使いしている。
 前の家では玄関に徳利を十ヶ以上並べ、ガチャガチャと装飾とは思えない有様。しかも場所が場所故、人や荷物が触れて三つ程が落下して死んだ。何、焼き物は割れるが故に果かない美が有るのだ、と強がっては見るが矢張り悲しい。今の家では五つだけ飾って有る。
 使う為に買ったのだから使うので、箱は捨てる。箱書きなんぞはどうでも良い。今は無名でも将来有名になりそうな作者も居るが、誰が焼こうが美味い酒が飲めれば其れで必要充分なので、満足で有る。
 白状いたしやす。実は特に気に入った物は梱包して段ボールに詰めて有る。地震で壊さない為で、思い切り良い振りをしても所詮は凡人、何とも見っとも無い振る舞い、一寸と恥ずかしいです……。
 酒やコーヒーは嗜好品なので、味が気分に左右される部分が大きい。気に入った器を使う事で味も良くなる。良い店が器に凝るのは当然なのだ。
 偉そうにのたまいました。実際は、酒は飲めれば幸せというあたしなのでガラスのコップでグイグイやっていて、ぐい飲みの出番は滅多に無いのです。いや、どうも。
 でも好きな酒器に囲まれているだけで、心豊かに飲めるのは幸せです。
 酒好きの貴方、もし酒器が無ければ安い物で良いので、気に入った物を探して見ては?一つの徳利、一つのぐい飲みから新しい世界が始まるかも、知れません。(え、皆さんとっくにやってるって?)

2009年3月9日月曜日

閑話 その十五

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 此処も写真で失礼。しかもでかくしちゃって。
 本文にしょっちゅう登場するSは、高校時代奇しくも三年とも同じクラスに居た男で、ギッチョの体操部員、滅法腕力が強く気が強く、若い頃は何かと意見が合わず、喧嘩ばかりして居た覚えが有る。
 それでも一緒に山岳会を造ったりしている訳だから、何処か気が合ったのだろう。
 山岳会は山浪(やまなみ)と称していたが、会を立ち上げる以前の山行を思い出すと、殆どがS及びKと一緒で有ったと気が付いた。
 初めての雪の丹沢もそうで、大倉尾根を登って居るうちに極めて嬉しい事に曇天から快晴に変わり、花立からは30cmを越える雪となって我々高校生達は眩しさに眼を細め、周りは真っ白に装った山々、今と違ってビールで乾杯もせず、ただただ圧倒的なパノラマを眺めて居た。

 

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表尾根を下ったのだが、膝を没する雪なので、尻をつき滑り降りたのが爽快で、やけに面白かった。これは誰がやっても面白く無い筈が無く、あたしも又やりたいなあ♪
 夕方から大倉尾根を登った時もSと一緒だった。あとはDとUだったと思う。偶然同期生で山岳部員のUTと大倉で出会い、共に夜道を登る事になった。UTは主脈だったけど、あたしたちゃあ何処へ行くんだったけ?駄目だ、思い出せない、情無い。
 花立の手前の赤土の斜面でSが動けなくなった。お、何だ?簡単な話で腹が減って脂汗、エネルギー切れって奴ですな。パクパク弁当を食べたら元気なSに戻ったというお粗末。
 この日は塔の尊仏山荘泊まりで、小屋の灯りが見えた時は嬉しいものなのです。小屋に入り、土間でホエブスに白ガソリンを入れていて、うっかりSの足に掛けてしまい、Sに離れて貰ってから点火したら、火が見事にさーっと走ってSの足がカチカチ山状態、皆で叩いて消したというお粗末。誰がSにガソリンを掛けたかって?済みません、あっしがやりやした……。
 で、翌日はUTと別れ、我々は何処へ行ったんでしょうね?最早完璧な惚けです(涙)。
 Sは頑丈な男だが、本文で書いた通り、指先の寒さに弱いという欠点が有り、もう一つ、大汗かきなので水を無闇と必要とする。だから小屋の前を通ると、ビールを買ってはグビグビやる訳なのだ。決してアル中では無いので、Sの名誉の為にハッキリさせておきます。
 Sはプロカメラマンをリタイアし、蕎麦打ちや太鼓を通じて地域で活躍する傍ら、マラソンや自転車を趣味として、昔からの友人から見ると偉く健全な男になってしまって、比べると自分が情無くなってしまうが、SはSあたしゃあたし、と割り切ってと言おうか開き直って言おうか、どっちにしろ山を未だに四十代(と同等)の歩き方が出来るのは、立派としか言い様が無い。爪の垢を下さい。(しまった、貰って飲んだら下痢しちまったぜ)
 因みにSの奥さんも四十代の山登りをSと共に出来るのだから、ま、似た者夫婦、目出度い限りです。(羨ましい限りが正しいです)

2009年3月7日土曜日

冬山のツェルトで三人暮らし その四

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 あれから、何年たったのだろう、沈む夕日を幾つ数え……。著作権に引っかかるから、止めます。
 詰まり、今はカーブをきつく責める事は、しないので、安心して乗って下さい。はい、当たってます。しない、でなくて、できなくなった!その通りです、畜生!!気持ちだけは若いというのも、冷静になれば馬鹿みたいで、はい、その通りです。
 当時の話。林道をスプリンター(今有る?)で、隣にYを乗せ、跳ねるように走っていた。突如、ガン!!と音と衝撃。車を止め、恐る恐る見ると、な、何と、尖った石が底に刺さっている。それだけなら良い。笑って済まそう。まずいのは、オイルがジャーっとこぼれている事なのだ。
 やばい?当たり前だ!狭い林道で方向転換、切り返しを繰り返しても、気が気じゃない。エンジンが焼きつく前にエンジンを切って、しっかりした所に着かないと、邪魔になる事夥しい。ブルで谷に落とされて、スプリンターとはお別れになっちまう。
 方向転換完了、後は惰性で下って戻る。ブレーキが効かなくなる。サイドブレーキを引きながら制動をかけ、平坦な所は車を押して何とか玄倉へ戻れた。山田モーターへ連絡して後は任せ、歩いて進み、山上峠から伊勢沢ノ頭へ登り、秦野峠から廃道で玄倉に戻った。少々の事故ではへこたれない、若いって素晴らしい~♪
 後日、山田モーター(お世話になりました。湯元平にある)から直ったと連絡あり、車を取りに、新松田からバスに乗り、行った時だった。その日、天気がメッチャ良かった。山に登るつもりはなかったのだが、地下足袋が、何故か助手席に有った。それで丹沢湖から、番ヶ平に登る事になったのだった。
 取り付いた尾根が伐採地で、篠竹の切り口が鋭く、地下足袋を貫かれそうでビクビクしたのを、変に鮮明に覚えている。
 峰坂峠からの廃道は、藪が茂り、崩壊が進んで廃道寸前(?)の有様、川原に下りてからの渡渉にも苦労したと思う。老婆心ながら、要らぬ説明をしよう。私の廃道の定義は多分間違っているのだろうが、「もはや通行不能とこれを認む」の事なのだ。だから、ぶら下がったり、ヒーヒーいって這いずったりしてこそ、初めて廃道と認識するので、ご了承下さい。
 三国山周辺は、余り歩かれていない山域だが、まったりした風情があって、悪くないですよ。西丹沢なのだが、外の西丹沢の山とは一寸と違う。土が火山性を帯びているからだろうか。特に、富士を見たい人には良い山。でも、全然見えない場所もあるので、下調べにはご注意。矢張り、富士山の純白に装った冬がお薦めですが、良い風が吹くからご用心を。

2009年3月5日木曜日

冬山のツェルトで三人暮らし その三

 

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 今ならそんな弾んだ感じは、薬にしたくともない。今なら、二人でぶすーと、引き返えしながら。
妻「道、間違えないでよ、ただでさえ疲れるんだから」
私「今の、でかい猪だったな」
妻「売れば幾らになる?」
私「売った事ないから、分からん」
妻「全く、猪一つ売れないんだから」
私「……一つじゃなく、一匹なんだよ」
妻「どうでも良いでしょ、甲斐性なし」
私「……」
 まあ、こんなとこでしょう。
 里道を間違えた話。SとKと、滅茶苦茶なN、は高校時代の同期生で、外の同期生メンバー(I、T、H、E、W)も加え、我々で山岳会を造っていた事がある。Sの奥さん(当時は結婚前)Wも同期生のメンバーで、彼女の勤務先のF銀行(今は合併した)の女性達も参加し、総勢十四、五人程の零細山岳会だった。
 同期生と、その友人達の集まりだから、民主的(?)で、リーダーは持ち回りだった。ま、団地の塵集積所掃除当番みたいなものと思って下さい。
 ルールは、リーダーに従え。(民主的だ)持ち回りだから、リーダーに余り適さない者もリーダーになる。道を間違えるリーダーは、不思議にも決まっていた。Kである。いつでも、何故か、Kである!
 奥多摩で(どの山だか忘れた!)登りにかかった。言うまでもなく、リーダーはK。里道が一気に急登になり、ぐんぐん登る。Kはピッチが速い(脚に障害が有っても速い奴だから、健常の頃は尚更だった、迷惑千万な奴)から皆必死に着いて行く。突如、先頭のKが止まる。皆止まる。
K「おう!(Kの口癖)引き返す」
 何かの作業場に着いたのだった。Kを先頭に無言で引き返す。昔の仲間を自慢する訳だが、(こういう書き方は、良くないとは知っています、済みません)誰も文句を言わない。無言だけど……。何年か経って、あの時はお前、とか話が出る。でも、当日はルールに従い、何も言わない。ね、なかなか出来る事じゃないでしょう?
 あの時はお前、と言われたKは、平然と
K「おう、良い思い出になっただろう」
 駄目だ、責めるだけ野暮だ……。
 丹沢湖から、番ヶ平に尾根を詰め、不老山を越え、峰坂峠から廃道を、世附川へ下った事があった。
 峠道が廃道になっていたのだから、二昔前。そうだ、迷惑なYと車でユーシンへ走っていた時の出来事が発端だ。当時はユーシンへ車で入れた。前の遭難話で触れましたね。
 私事だが、どういう訳か車は何時でもボロイが、腕はピカピカ。但し、曲がりくねった道。そう、道志川沿いの413号線とか、林道とかは、お任せあれ。うっかり乗った貴方は、吊り具に掴まった侭、口も利けない。喋ると舌を噛む事になる。 (冬山のツェルトで三人暮らし その四へ続く)

2009年3月3日火曜日

休題 その四

店 007

 

 「ビルマ戦線に居ると思え」
 よく家族に言う言葉だ。皆、又始まったと思っているのが顔に出ている。
 やれ暑いの寒いの、飯が美味いの不味いの、着るものがカッコ良いの悪いのとワーワーやってると、つい「ビルマ戦線に居ると思え」とやってしまう。
 勿論ビルマ戦線に居た事は無い。何冊かの本で得た知識しか無い。北ビルマでの「菊」と「竜」の悪戦苦闘、インパールの白骨街道、ペグー山地の悲惨な撤退戦。何処も圧倒的に強力な米支軍、英印軍相手に押しまくられ、弾に当たって死ぬより飢えと病で命を落とすパターンで、作戦指導部の無能ぶりには唖然とせざるを得ないが、何より可哀そうなのが現場の将兵なのだ。
 常に補給の無い戦なので飢えるし弾薬も欠乏し、防御陣地を造るにも資材も無いのだから土を掘るしか無い。前線では常時砲爆撃に曝されている訳で、露出していたら即戦死、穴を掘って身を縮めているしか無く、半年続く雨季には水の中に入っているのだから、足の皮は剥け落ち、皮膚はブヨブヨ、其の上食料も無いのに敵が現れたら(滅多に現れない)戦うのだから、想像するだに偉い苦労だ。
 負傷したり病に罹ったら、撤退に同行不能、置いていかれるが責められない。誰もが飢えて半病人なのだから自分一人を運ぶので精一杯、責められるべきは軍参謀部、方面軍、南方総軍或いは大本営。
 敵は滅多に現れないと書いたが、現れる時は猛烈な砲撃の後、戦車を先頭にやって来る。処が有効な対戦車兵器が殆ど無いので、酸鼻極まる虐殺が繰り広げられる。
 撤退路には先行した部隊の行動不能となった兵が白骨となり、或いは腐乱死体となって点々と倒れており、死体を辿って行けば道を失う事は無い。嗚呼……。
 と、古本を漁って手に入れた戦記、それも下級将校か下士官兵の物に限り、何故なら死ぬ思いをしてやっと生還した人達の生の体験だからで、高級将校が分かった様に書く文章なんざ読む気もしない訳なのだ(偏見?そうじゃ無いと思う)。所詮其の本で得た知識に過ぎないが、比べれば日本で暮らす生活は天国だと痛感したのです。其れなりの下地が有って本文でも書いてるが(未だアップしてない)、冬山から帰って来た時の気持ちは、ビルマ戦線から生還した気持ちの百万分の一か千万文の一位のものが有るのではないかなあ。日常生活が途轍もなく素晴らしいものに感じられ、何の文句も無い気持ちになれるのだが、神では無い出来の悪い我が心故、数日で薄れて行くのが残念だ。
 でも、其の気持ちだけは何処かには残っているので、家人が贅沢を並べると「ビルマ戦線に居ると思え」と思わずやってしまうのだ。
 ビルマ戦線生き残りの方、怒らないで下さい。本当は、一番自分自身に言い続けるべき言葉なのだろうとは、自覚しています。

2009年2月28日土曜日

冬山のツェルトで三人暮らし その二

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 Nに連れられて、初めての3000m級冬山に行った時の事だ。お馴染みのKと三人だった。Nは滅茶苦茶な奴で、何と、ツェルトで三人が二晩暮らした。(Nに言わせりゃ、そんなの当たり前だろう?)北沢峠の天幕村だったがどの天幕も闇に沈んでいる。( 内張りが張ってあるのだ)うちのツェルトだけが、ロウソクの灯りで、煌々と明るく映えている。大体、ツェルトなんてうちだけだよ!
 今でも不思議なのだが、あの小さなツェルトにどうやって、冬山装備と三人の男が入れたのだろうか?……分からん。いざとなれば、何だってできるという事なのだろう。現にできたし……。
 その時、私もKも足が冷たくて、痛くて、痛いと嘆いた。滅茶苦茶なNは笑って、嬉しそう言った。
「そうだろう、痛いんだ」
 思えば、私も滅茶苦茶なNと同じになったのだ、いや、なれたんだ!とても誇らしく思える。
 しまった、寒く冷たい印象に、富士山が霞んでいる。同行の諸君も多分そうだろう。鉄砲木ノ頭で、富士を見る会を行う人は、防寒に気をつけて下さい。何せ冬の方が、富士山が見事ですから。
 鉄砲木ノ頭から更に北上すると、切通峠を経て高指山(たかさすと読む)に至るが、この手前で東海道自然歩道に合流し、歩道は平野へ降りて行くのだ。めでたくも、これで自然歩道と繋がった。何がめでたいの?……分かりません。
 三国山に戻ろう。東に延びる稜線は湯船山、峰坂峠、そして不老山。そこから河内川へ落ちて終わる。
 案内書ではないと断りながら、つい、書いてしまう。どうでも良いような、事なのに。詰まり、丹沢の地形を、語りたいのですね。済みませんです。
 昔、妻と不老山へ、駿河小山から登った。当時の、道のあるピークで、踏んでいなかったのは不老山だけだった。(分かりにくい文章で御免)今は、あちこちのピークに路が記載されている。道が記載されていない山を歩く楽しみが、減りました……。
 峰坂峠から西は歩いた事があるので、峠から東に不老山を目指した。で、峰坂峠に向かう里道で迷い、(良くある事なのだ、恐るべきは里道!)農家の庭先に引き込まれてしまった。にはにはにわにわとりがいた。冗談です、庭には二羽鶏がいた。(……)本当にいたのは、吊るされた猪、それもでかい!1m半以上はあった。ような気がするけれど……、兎に角大きかったの!
 流石、昔だ。幾ら昔でも、びっくりして、引き返した。引き返しながら、二人で笑ってしまった。え、猪がぶら下がってる?今朝獲ったのかな。ははははは……。♪二人は若~い。 (冬山のツェルトで三人暮らし その三へ続く) 

2009年2月27日金曜日

閑話 その十四

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 イラストに描けないので無関係な写真で、失礼します。
 天幕を張るに最適な場所は何と言っても締まった雪の上、次に平らな土の上、次に平らな砂礫の上、そんなとこかなあ。
 選りによって植物の上に張った話。
 Nと正月の鹿島槍に出掛け、赤岩尾根を登って高千穂平、此処で幕営なのだが広くも無い平地は既に他パーティの天幕で埋め尽くされ、我々の張る場所が無い。滅茶苦茶なNは「此処が良いや」と雪を被った這松の斜面を指差し、其の上に張ってしまった。
 確かに張れたが、一寸とでも動くとユサユサ揺れる。這松の上なので極当然の話。何でも抑えておかないと引っくり返るので、気の休まる間も無いが、Nには当然の事なのだ。
「大塚、冬の岩場でザイルで確保して、半シェラフで寝ると思えば上等だぜ」
  と平然としている。そうなんだが、揺れながらコンロとコヘルを抑えているのも面倒極まる。
 尤も此の山行でNに色々教わった。
「大塚、小便ならオーバーミトンを履け」
 成る程、靴を履く面倒が無く揺れる天幕内では最高のアイデアだ。翌々日は下山だが夜中降雪、40cm程の新雪だった。
「まだまだ、ゆっくりしていよう」
 パーティが降りて行く、二つ、三つ。
「そろそろ行くか」
 トレースが出来るのを待っていたのだ。手だれは違うなあと感心してしまった。
 本文の三度も挑戦した変な沢を詰めた時、加入道に幕営する積もりだったのが、Yの脚がつって行動不能となり、幕営可能な場所を探し廻ったが無い。結局平たい所は熊笹の上だけで、其処に強引に張って、Mは「こんなとこに張るのけえ」と驚いたが背に腹は代えられず笹の上。
 勿論ユサユサ揺れる暮らしは前述の通りで、不便此の上無しだが仕方無い。其の上其の不自然な天幕内だからこそしょっちゅうYの脚がつって、痛て!とやるたびユサユサ、結構苦労で有った。
 次もY絡み。一昔前の春、越後側から丹後山に入り、大水上山から尾瀬へ抜けた。二泊目はにせ藤原山だったが、ピークは(狭いのだ)雪が消え笹、雪面は斜面で有った。
私「この斜面を蹴って平にして張ろう」
Y「あの笹の上が良いよ」
 斜面が嫌だっと後でYから聞いた。そして又もや笹の上の天幕で、又もや不自由極まり無い生活だったが、Nの言うが如く岩にぶら下がって暮すと思えば、まあ天国ですな。
 他には後に本文に出て来る、Zと行った中央アルプス南部の此れ又笹の上の幕営。此の山行は椿沢やにせ藤原山とはランク違いの苦労で、それは本文のお楽しみって事で、今回はお仕舞いです。

2009年2月25日水曜日

冬山のツェルトで三人暮らし その一

 

 三国山付近の話。急に西の外れになった。FH000021
 言う迄もなく、相模、甲斐、駿河の三国々境の頂。何で古い国名を書くのかって?人間が古いからです。
 頂直下を道が走っている。御殿場から山中湖へ抜ける裏ルートだから、結構皆さん通っている。だから、道の上の小ピークと思われているかも知れないが、偉い誤解だ。
 山中湖から丹沢西端の山々を眺めれば丘、本当に唯の丘にしか思えない。その丘に登ると、相模側(神奈川県側)は、深く落ち込んでいる。武田信玄が北条を攻めるには、駆け降りれば良かった訳だ。逆が無かったのは、良く分かる。
 攻めて駆け上がるのは、空身でも嫌だ。増して、具足をつけて、槍を担いで、食料を背負ってなんて、考えるだけで、キツイ!私なんざ、銃殺覚悟で敵前逃亡です。
 三国山から西に延びる尾根は、籠坂峠で富士山につながっている。丹沢は富士山と尾根続きなの、ご存知でしたか?その尾根を大昔歩いたが、済みません、気持ちの良い林の中としか、記憶がありません。峠を見下ろせる所で引き返したのだが、車の行き交う国道に降り立っても、仕方ないと思ったのだろう。何せ、大昔の事で……。
 三国山から北に向かえば鉄砲木ノ頭。三国山が樹林の山に対して、草山で展望抜群である。唯、足元の山中湖との標高差が300mしかないので、山にいる気が、一寸としない。振り向けば深い谷だが、暗くて印象に残らないだろう。勿論丹沢の山々も見えるのだが(此処も丹沢なんだから当然である)、普通は、圧倒的な富士山の姿に目を奪われて目も呉れない。(私は別ですよ、丹沢方面を喜んで見てます)
 昔、仲間五人で、二月に富士を見る会を催し、鉄砲木ノ頭の頂に立った。快晴だったので、富士はバッチリだったのだが、風がもろに当たるので、とても寒い。でも、用意に怠りはない。皆でツェルトを被り、バーナーを出してコーヒーを沸かす。暖かい!…… 顔の周りだけは。皆口々に騒ぐ。
「足が、痛い、千切れる!」
 おい、我慢が足らんのだ。冬、山で風に吹かれれば寒いものなの!足が痛いくらい当たり前だろう、何だってんだ!(頷いた人は、私と話が合うと思います)
 この時は、そうだろう、痛いんだよね、と答えて笑ってしまった。そう、思い出すとNも同じだった。

2009年2月22日日曜日

閑話 その十三

イラスト15

 上河内岳を語った閑話でダイオードのヘッドライトにふれた。で、今回はヘッドライトの話です。
 三昔以上(四昔に近い)前はヘッドライトは一般化しておらず、海中電気に紐を付けて肩に掛けたり首にぶら下げたりして夜道を登ったものだ。大倉尾根がメインルートで、麓から見ると点々とライトが続いていた。
 三昔前からヘッドライトが一般化したが、電池の性能が悪い為、単三電池四本タイプなので大きくて重く、炭鉱夫の装備に近かった。(と言っても分かります?)
 それから数年で今の形の物になったのだから、技術の進歩とは素晴らしい。普通の豆電球の時代が二十数年程続き、突然ハロゲンが現れて驚いた。ガスも通す威力(それ程では無いのだが)、あたしやあ相変わらず豆電球、凄いなあと思っているうち、皆ハロゲンになっちまった。テントから出るとハロゲンの白い光が右往左往していて、黄色い蛍の光はあたしだけ。一寸と恥ずかしくは有るけど、何の遠慮が有りますか。
 そしてハロゲンにダイオードを組み合わせた標準型の時代となった。此れは優れものでダイオードで全体を照らし、必要な時はハロゲンに切り替えて一点を照らす、しかも燃費に極く優れているのだ。従って皆そうなった。
 フッフッフ、皆では無い。あたしゃあ今でもイラスト通りのオールドタイプで、二十年使用しているからゴムは延び放題、頭に止まらずずり落ちるし、ネジは馬鹿になって下を向きっ放し、ヘッドライトと呼ぶもおこがましい単なるヘッドライト型懐中電灯に成り下がった物を後生大事に使っているのだ。言わせて貰えば、我ながらアホじゃ!
 山中では今回で終わりだと思うのだが、帰るといそいそと仕舞ってしまう。従って下手すると一生使う事になる。おいおい、良い加減にしろよな。はい!
 でも使えるし、それ程は不自由しないので(どえりゃー辛いでかんわ、って目に会わないので)、取り替える気になれない。性分です。コヘルだって変な鍋の蓋を取り付け(イラストにも有りました)、未だに使ってる奴なので当然の事。
 ま、夜間に登る事が無くなった(出来なくなった)のが最大要素で、もし夜間に行動しているならば、あっという間に新型に代えていただろう。
 今使用するのは天幕の中か小屋の中が主で、頭に着けられないので首から下げて必要な時にスイッチを入れるのだが、スイッチも馬鹿になっていて一発では点かないのだ、えっへん。(涙)
 最早ヘッドライトとは違う品物では有るが、長年連れ添ったよしみは切り難く、きっとまだまだ使い続けるのでしょう。幕営地で首にヨレヨレのヘッドライトをぶら下げたおじさんが居たら、多分あたしです。

2009年2月21日土曜日

ヒマラヤよりも丹沢 その四

 

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 きっとそうだろう、幸せの青い鳥は、そばにいる!気づかないだけ……。妻や子供達は海外に憧れる事夥しい。丸で、♪~たんたん狸の金時計、~センスの無い事夥し~♪と、私には思える。
 海外旅行より、よっぽど伊豆の温泉の方が良いもんねー!大体からして成田に行くだけでウンザリ、とっとと家に帰りたくなる。だから伊豆が大好き、海外登山より海外旅行より全国高級旅館巡りより宇宙旅行より……、あ、待って!宇宙となると話が違う。
 私の夢は、銀河系宇宙を足の下に見てみたい、という事。(死んでも無理だろうなあ)せめて、地球軌道(念の為。地球の周りを回る軌道、分かり切った事を失礼しました)でも良いから、宇宙に行きたい。
 それでも、一応シュミレーションをして見ました。たとえば火星旅行の切符が、チョコレートを買ったら入っていたとしよう。(有りましたね、似たような映画が)で、勿論行きます。
 地球が地球に見えているうちは良いだろう。地球が唯の明るい星になったら、寂しいだろうなあ。その上退屈だろうなあ。なぜって、行って帰るのに、上手くいっても一年半。毎日星しか見えない生活……。多分船内は狭いし。その上筋力は再起不能に衰え、カルシウムは溶け出し放題。戻って来れば地球の重力に耐えられず、体中の骨が折れ、帰還祝いで一杯やる間もなく、お葬式。矢張り、伊豆の温泉が良い!
 疑う人は、一度火星に行って来れば良い。絶対止めないもんねー。
 伊豆で露天風呂に入って、酒を飲んで、刺身を食べて、鯵の開きを食べるのだ。火星に行って来て死ぬより余程良いに決まっているじゃないか!それに伊豆は近い。海外なんざ話の外。成田に着く頃にはこっちは伊豆に着いちまって、温泉に入っているよ!!!
 話が訳分かんなくなってしまった。三ツ峰に戻りましょう。で、冬の物見峠の景色がとても良かったんです!(引っ張るだけ引っ張ってこれです、失礼しました。あ、見捨てないで!)
 大山にはあちこちから登ったが、山頂近くから諸戸へ下る道をやろうとした時は失敗した。当時の地図には黒い破線が記載されていたのだ。処が入り口が無い。大山山頂付近は意外と藪が深いのだ。うろうろ探し回った末に、諦めた。
 逆に諸戸から詰めると決めた。詰めなら藪でも突破するしかないから。だって、登るだけ登って、今更戻る訳にはいかないでしょう。詰まり、背水の陣を張った訳。最早あたしゃあ漢の乾信だ!(違うって?)
 諸戸からは営林署の路が有った。難なく頂上近くの登山道に、ひょっこりと出た。何だ、此処だったのか。昔の話だから、今もそうかは、保証しません。
 大山は、南から見ると三角に聳えて見える。鋭く尖った山容だ。東から見ると、丹沢連峰の左端に、堂々と位置している。天晴れ夕映えの丹沢の重鎮なのです。