2009年2月18日水曜日

休題 その三

店 006

 無職寸前の契約社員とプロフィールに有る通りの境遇だが、仕事仲間が面白い。
 チラシで求人を見、説明会に行ったが、算数や国語、一般常識の試験をして面接かと思いきや、仕事の説明をし、即写真を撮り証明書を造り、勤務先を発表して解散で、集まった五十人からの人間は唖然、全員採用なのだ。
 あたしの配属先は三人、これが全員(飲んだ時に分かった)射手座でB型、確率的には1728分の1(間違いかもしれないけど、酔ってんで失礼)、顔を見合わせ大笑い。一日違いで又一人配属されて来たが、彼も射手座(B型では無かった)、四人共とは珍しい事夥しい。
 紆余曲折を経て、四人の内二人が残り、雇用形態の異なる二人が加わったが、射手座とは無関係で、確率的には少しまともになった。
 処が、あたしを除く三人は出版経験者、一人は宗教哲学、もう一人は構造力学、此の二人の本は現役で販売されていて、残りの一人はタレント本のゴーストライター。気の毒な成り下がり者が期せずして一同に会した訳。
 分野は異なるが、物知りだらけで、何の話が出ても誰かが詳しく、感心するばかりだ。
 面白いのは、宗教哲学の彼を除いた二人がやけに血の気が多い事で、あたしゃあそういう人間と不思議と馬が合い、話を聞いては喜んでいる。
IT「バスで前の女の子の音楽がシャカシャカ煩いのよ。煩いよと言ったら、其の女がチッと舌打ちしやがって、ボリューム を上げやがんだ」
私「へー、人を見る目が無い奴だなあ」
IT「俺は怒鳴った、馬鹿野郎、小さくしろって言ってんだ!誰もてめえの音楽なんざ聞きたかねえんだ!」
 で、バス中シーンとした、当然だ。
SH「シルバーシートに女高生二人と若いサラリーマン二人が座ってんだ、俺は其の前で吊り革にぶら下がってた。女高生二
 人が降りて 行くから、おいお前等、具合悪いんだろう、それにしては元気そうだな!」
私「ほう、言ったね」
SH「サラリーマンにも、お前等もだよ!と言っといた」
私「偉いなあ!」
 IT、SH二人共喧嘩がやけに強く(見た事は無いけど)、しかも好きな様だ。自分に無いものを求めるのが人の常、馬が合う筈だ。
IT「通勤電車で喧嘩してんのよ、踏んだとか踏まれ たとか言ってさ」
私「よく有る話だな」
IT「止めようよ、混んでんだし皆の迷惑だよ、と言ったら、一人が降りろって言うから次の駅で降りたよ。そしたらそいつ
 が、やる気か、俺は空手五段だぞ、って言うんだ」
私「降りろってそいつが言ったんだろう」
IT「そう。物も言わずそいつの顔面に一発かましてぶっ倒し、其の侭電車に飛び乗ってドアが閉まって、バイバイ」
私「はっはっはっは」
 済みません、下らないですよね。でもITやSHの行動は大好きです。今、世の中が失ってしまった大切な何かが見事に残っていて、極めて貴重な精神だと思えます。

2009年2月16日月曜日

ヒマラヤよりも丹沢! その三

 

 

FH000106

 

 とても風流です。ダニに食われないように気をつけて下さい。つつが虫病とかが有るので、山ダニも馬鹿にできない。命に関わる事も有るらしい。松田駅でそのポスターを見ました。
 で、そういう諸君を見かけると己を忘れて、何と物好きなと呆れる。(男女問わずです、念の為)おいおい、もっと良い山があるだろうに。え、私の事ですか?成る程……。
 今では路になって、手作りの道標くらいあるのでは?あ、確認していません、責任は持ちかねます。念の為。
 で、大山の北北東にも三ツ峰が有る。大山三ツ峰とも、煤ヶ谷三ツ峰ともいう。急な上り下りには鎖や梯子が付き、標高こそ低いが面白い山だ。
 頂上が狭い。二つあるのだが、両方狭い。季節の良い時は人が多くて弁当を広げる場所も無い。かといって、外は急斜面か鎖場で、弁当を広げるには、危な過ぎる。笹や鎖にぶら下がって弁当を食べるのが趣味なら別だが、それにしても、通る人の邪魔になる事夥しく、とても迷惑だと思うので、やらないで下さい。
 冬の日、妻と登った時は小雪がちらつき、流石に一パーティしかいなくて、震えながら弁当を食べられたが、とてもラッキー(?)だった。此処は寒い日、雨の日、槍の降る日が穴場です。
 別の冬、単独で煤ヶ谷から物見峠経由で、三ツ峰を目指した。正規のルートである。で、ですよ。峠に着きました。何を勿体ぶってんだよ!では、最初に謝っちまおう。御免なさ~い。
 峠に着くと、視界が開ける。向こうに見えて来るのは、表尾根から三ツ峰(大山三ツ峰でなく、丹沢三ツ峰)への山々だ。これが、雪を覆って

  夜叉神峠から厳冬の
   白峰の山々を見たような、

   常念乗越から厳冬の
    穂高の山々を見たような、

 感動を覚えてしまった……。いやー、お恥ずかしい。(汗)しかし、偉く感動したのは、本当に本当なのです。……笑って下さい。
 私は、ヨーロッパアルプスでも、ヒマラヤでも、マッキンレーだろうと、比べれば丹沢が良い!絶対良い!
 おい、行った事あんかよ?
 無いね。行かなくても分かるのを、感性というの、知ってる?(読者の皆さんに喧嘩を売ってるんでなく、自問自答です)
 ヒマラヤの天幕の中で、長谷川氏(日本の誇る登山者、故人)が見ていたのは、故郷の、日光の五万図だと、手記で読んだ。堪らなく日光の藪山が恋しくなったと。 (ヒマラヤよりも丹沢 その四へ続く)

2009年2月15日日曜日

クソ面倒な話 その一

店 005

 

 南部陽一郎氏他二名の方がノーベル物理賞を受賞、大変目出度い!
 が、南部陽一郎氏の対象性の破れの起源の発見には、?と思ってしまう。
 何だと、お前みたいなド素人が何を言う!!!阿保、馬鹿、基地外(2チャンネルじゃないって)、世界最高水準の科学者及びノーベル賞を冒涜するのか、じゃあお前は何だ、この戯け者!!!
 ま、まったくその通りです(汗)。
 誰かが対象性の破れの起源の発見には、?と言ったら、きっとあたしが投げ掛けるであろう言葉を列挙してみました。
 ド素人だから言う訳で、理論自体が理解出来ないのは当然過ぎるので置いといて、問題は理論の前提のビッグバンなのだ。誓って南部教授を誹謗するのでは無い。?はビッグバンに付けたのです。そもそもビッグバンって有ったの?
 このド素人が、何を……(略)。
 お断りした様にド素人だから平気で言うのだ。1mmより遥かに小さな宇宙がある時突然爆発的大膨張を起こし云々。??????
 其の小さな宇宙(?)の周りは何だったの?「だから、それが全てだったの!」 (???)
 何時、何処で、何のきっかけで始まったの?「だから、180億年位前で、場所は特定不能、理由も不明なの!」 (???)
 其れは物質の事?空間の事?「だから、滅茶苦茶高温状態の想像不能な急激な膨張では空間も物質もごっちゃなの、数秒で物質が形成され、それが対消滅しないで済んだ訳を南部陽一郎氏が解き明かしたんだ!」 (???)
 空間が粒子を生み出すのは知っている。仏教に言う、色即是空空即是色の世界でしょう。じゃあさ、空間と物質が別れた後物質も大膨張を続けたんだろうけど、だって、その頃の宇宙は水星の公転軌道位の大きさだったんじゃなかったっけ(当てずっぽうだけど)、其処に全宇宙の物質が詰まっていたんだから、そう考えざるを得ない。で、何時物質は膨張を止め、空間だけが膨張を続ける事になったの?「だから、物質が安定した時なんだ!」 (???)
 数秒後(一説には3秒後)だよね。どうして物質は膨張を続けないの?「だから、拡がるのは空間だけなの!」 (???)
 全然分かんないけど良いとして、宇宙のバブル構造が発見され、180億年位の時間じゃとても構成出来ない事が明らかなんだけど、矛盾しないの?「だから、此れからもどんどん研究するんだよ、分からない奴だな!!!!」
 ??????
 欧米ではビッグバンに疑問を表明する科学者が増えていると聞く。日本では教科書もプラネタリウムもビッグバンに一点の疑問も持たない。そういう記事も載らない。
 あたしゃあどう考えても納得出来ないから正直に、分からないと言うので有って、どなたか分からせてくれれば、勿論即素直に納得する。でも、素人にビッグバンを納得させるのは、さぞや至難の技でしょうね。

2009年2月14日土曜日

ヒマラヤよりも丹沢! その二

FH000146

 

 大山川を詰めた時は爽快だった。蛭がいなかったからかな。
 蛭は忘れよう。大山で豆腐が名物なのはご承知の通り。S、K、そして別のKと降りて来て、豆腐料理の店で風呂に入り、宴会になったのだ。
 山から降りて来て入る風呂は、こたえられない!疑う人はやって見るべし。特にこの日はガスった寒い日で、一面の雪、頂上では無闇と冷たい風に吹かれに吹かれ、私もSも手が利かなくなり、Kにリュックを閉めて貰う有様だったので、特別に風呂が素敵!
 頂上で、私は余りの指の冷たさに指を銜えて暖めた。
私「S、指が真っ白になっちゃったよ」
S「俺なんか指が透き通った、ほら」
 本当に透き通っていた。凍る寸前、凍傷寸前。十字懸垂のSにも、指の冷たさに弱いという弱点が有ったのだ。Kは少なくとも指の冷たさには強い。酒には弱いけど(お前と同じだろうって?はい!)
 中年になって、つくづく分かったのは、山で何を焦る必要があるの?という事。急いで登り、せっせと歩き、走り降りて、慌ててバスに飛び乗る。ねえ、貴方、そんなに急いで何処に行くのかね?
 悟った。ゆっくり山を楽しみましょう。
 ばれましたよね。そうです、急ぎたくても、急げなくなったんですよー。ま、事実なんだから否定は野暮、自然体で良いのだ。
 で、この日の風呂の後、豆腐が美味くて、飲む事飲む事、バスの最終だと促され(終バスに間に合うよう教えてと頼んで有った)、バス停が遠かった事。不幸な事に、停留所からうーんと遠い上に、酔っ払っていて、真っ直ぐ歩けないので、尚遠い。ギリギリ間に合って目出度い。自然体も適度が、肝心ですな。
 大山から南へ伸びる尾根。今は地図に路があるのだが、昔は(もう断るのも面倒になった)当然路はない。善波峠から登った。踏み跡は辿れた。でも長くて、蓑毛越に着いた時には、大山に登る気は失せて、とっとと降りてしまった。その尾根をやって見ようと思う人は、下りをお薦めです。秋晴れの一日、相模平野に向かいぶらぶらと下って行くのは、きっと最高でしょう。
 前にも触れたが、大山東面の藪尾根(当時)を、S、K、( しょっちゅう出て来る、我が侭でうるさい諸君)とそのお仲間を何度も連れ込んだ。降りてからの温 泉がメインなのだが、皆さん、藪っぽい尾根には、うんざりしていたらしい。気の毒したね~♪
 皆の嫌がる藪尾根で、たまに同好の士と出会う事が有った。何が面白いのか(おいおい、お前に言われたくない。だよね)、地図を片手にきょろきょろしている。女性のパーティの事もある。え、こんな物好きは男の特権じゃないの?
 男のすなる馬鹿を、女もしてみんとてすなり。 (ヒマラヤより丹沢! その三へ続く)

2009年2月13日金曜日

閑話番外 その一

 

閑話十二と十三に挿入写真が有るが、此れは試しに当時の(詰まりネガの無い)写
真をスキャンしたもので、矢張り平べったくて荒くて、どうし様も無い物で有る。
駄目だった……(涙)。
話に出て来る山なり情景を、一寸と挿入したいという目論見は消えて諦めがついた。
泣き言を述べてしまいました。

閑話 その十二

イラスト4

 履物ついでに地下足袋です。
 加藤文太郎は何時でも(積雪期は違うだろうが)地下足袋を履いて山を歩いたと聞く。大きなキスリングを背に地下足袋の男が風の様に歩いている、見たら加藤文太郎だったと、何かで読んだ。その真似では無く(真似出来っこないし)地下足袋は愛用している。
 きっかけは小雨の勘七沢で有る。

店 004

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 F2に取り掛かった時は他のパーティの訓練中だったが、「どうぞ」と譲られ、一同見守る中を登った。履いていた登山靴が滑り、危なさと恥ずかしさで冷や汗を流した。
 で、沢には地下足袋と草鞋と決心、装備を変えたら岩に馴染む。コケでぬるった岩も大丈夫、やったー、こりゃ良いや! それからは、積雪期と縦走以外は地下足袋になった。ん、矢張り加藤文太郎の影響も否定出来ないかもしれない。と言うのは、地下足袋は沢以外では無力で有る。林道では石が食い込み酷く痛い。ザレ場、ガレ場、土場では蹴込みが効かず難渋する。岩の上では足裏に感覚が伝わる利点は有るけど、小さなスタンスに爪先を掛けて体重を預けるには無理が有る。
 へっへっへ、自覚しちまった、ファッションですなあ。あ~恥ずかしい(汗)。
 でも、履き慣れると軽いし、かさばらないし、メンテが楽だし、安いし、言う事無しの優れ物と思えて、愛用しているのです。
 軍足を下に履くのだが、弛ませて親指のスペースを造る。一昔前、其のスペースが充分では無く、右親指が圧迫され、帰宅したら爪が見事な紫色になっていた。詰まり、爪は死んだ。やがて紫の爪は落ち、新しい爪はへの字に盛り上がっている変な物だった。今でもそれに近い状態が続いている。別に生活上の不自由は無いんだけど、爪を切るのが難しいの。それだけが一寸と困る。すっかり懲りて、其れからは親指つきの軍足にしました。
 二昔前の晩秋、妻と北八ツの天狗岳へ行った。妻は軽登山靴、あたしゃ穴のあいた地下足袋。嬉しい事に薄っすらと雪、景色は美しいが、穴のあたりが耐え難く冷たくて痛い。予備の厚手の靴下を履いたら、ぴたっと痛みは消えた。至極当たり前なんだけど。
 何で厚手の靴下を履けたかと言うと、履物は何でも大きめという方針なのだ。靴なんざブカブカ、中で足が遊んでいる。従って地下足袋もブカブカ、其れが身を助けた訳で有る。
 地下足袋で困るのは、足裏の痛さは別にして、藪の中で指の又に笹やら草やらが引っ掛かり、文字通り足を引っ張る事。唯でさえ鬱陶しい思いをしているのに、追い討ちを掛けられるのは意外と嫌なものだ。
 と、欠点の多い地下足袋だが、天気の良い日の稜線漫歩には最適、軽々と歩けますよ。(多分)

2009年2月12日木曜日

ヒマラヤよりも丹沢! その一

FH000093

 

 

 大山の章で有る。昔から丹沢の玄関といわれている。落語ネタにもなっている程歴史が有り、馴染みの有る山だ。ケーブルカー迄有り、旅番組にも登場です。わ、大山が出る、とわくわくして見ると、大抵がっかりしてスイッチを切る。NHKが真面目に撮ってくれるのを待つしかない。
 私が初めて丹沢に登ったのは、中一の時の大山。皆さん雨降神社の周りにたむろって居て、裏に回らないが、裏からは丹沢の山々と富士が見えるのですぞ。表尾根の向こうに富士山。中々いける図なのだ。中一の少年(私)は三ノ塔が目の前で、簡単に行けそうだな、なぞと分からん事を考えていた。本当に、簡単に行けそうに見えますよ。
 二年前の夏、Yと石尊沢を詰めた。例の通りマイナーな沢ですなあ。唐沢峠を越えて川原へ降りる。古い本によると、そこいらは綺麗な滑(なめ)が続くとなっているが、え、嘘、もろゴーロの川原じゃんかさー。(失礼、しょっちゅう使うが、おじさんに似合わぬ下品な言葉遣い)幕営だったので、ゴツゴツの川原を離れて枯れ草がふかふかの所で張ると決め、枯れ草を蹴飛ばして平らにしていると、Yが叫んだ。
Y「あ、駄目だ、蛭がいる!下の川原に移ろう」
私「え、良いよ、蛭ぐらい」
Y「凄く沢山、あ、ザックにも!」
 ザックに茶色い奴が幾つも付いている。
Y「大塚さんにも!」
私「げー!」
 地下足袋にも、ズボンにも、めくると軍足にもうごめいている。手の速い奴は何処にでもいるもので、既に食われた痕から、血まで流れているんだ。わー!
 剥ぎ落とし、二人で互いにチェック、背中や脇等。付いていました、あちこちに。煙草の火を押し付けて落とす。
私「あ、あちっ」
Y「仕方ないの!我慢して」
 他人の辛さは、平気で我慢できるYなのだ。
私「移ろう」
Y「だから、移ろうって言ったんだ」
 即撤退、ゴーロの川原に天幕を張った。石がもろ食い込んで、痛くて辛い夜だったが、蛭に襲われないだけ増しだ。
 音も立てず、気配もなく、全く気づかぬうちに、血を吸う吸血鬼。不気味だ。好きになれない。丹沢で嫌いなのは、蛭と、夏の暑さと、植林と、どうしようもないザレと、山ダニと、……切りがないから止めます。
 大山川を詰めた時は爽快だった。蛭がいなかったからかな。 (ヒマラヤよりも丹沢! その二へ続く)

2009年2月11日水曜日

閑話 その十一

店 002

 ナーゲルの話を一つ。和訳すれば鋲靴ってとこだろう。ビブラム登場迄の靴のスタンダードだった様だ。登山靴、軍靴、作業靴、そしてインディン・ジョーンズの靴。
 絵を出せれば簡単なのだが、底だけなので拙い文章で説明を試みよう。(え、無駄だって?遣って見なきゃ分からん!)
 さて、ぺっぺ(手に唾を掛ける音)、当たり前ながら革靴で、折り返しが付くのが普通だが、折り返しは今は無いので、靴の上に余分な皮が付いていると解釈して貰いたい。何に使うかと言うと、それを持ち上げて上にゲートルを巻く為なので、ゲートルとは何だと聞かれたら、本題と違うので答えを保留する。
 本題は底だ。ゴムでは無い。皮を重ねて張り合わせ、踵部は厚くし見事に靴底を造る。革靴でビブラムを張る基底部はそれに近く、其の皮部分全部が靴底になったと思えば基本的にOK!
で、皮が底なら消耗が激しい。何せ、登山や戦争やインディン・ジョーンズをやってる訳だから無理も無い。なおも悪い事に皮は滑るし、岩の上でインディン・ジョーンズが滑って転んだら映画は、はいそれで終わり。
 鋲を打って皮底を保護しよう、そうすれば減らないし、滑らないし。軟鉄のムガー、クリンカーを打って出来上がり。やった!ばっちり皮底が保護されたし、滑らなくなった、万歳!
 そして登山靴や軍靴やイン……、止めよう。でも重くなった。鉄の鋲だらけなんだから。滑らないとは比較の問題で、ビブラムから見れば滑る滑る。濡れた岩とは確かに相性が良くて食いつくが、乾いた岩とかコンクリートの上では、ローラースケート状態だ。駅でも町でも気が抜けない。
 土の上、固まった雪の上では威力が有った。あたしが始めて買った皮製の登山靴が、ナーゲルなのだ。十七の春の事。当時でさえ、売ってはいたがナーゲルは時代遅れだった。おまけに高価で有った。何故貧乏貧相なくせにナーゲルに手を出したかと言うと、ナーゲルを履くと正しい歩き方が身に付くと何かで読んだからで、前にも有りましたね、そんな話。で、正しい歩き方が身に付いたの?聞かないで!
 初めて履いて行ったのが雨の大蔵尾根、絶好のシュチュエーション、赤土の斜面を雨に打たれつつ登り、鋲が赤土に確り食い込む。 一発で惚れ込みました。

店 003

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 Iと登った春の槍沢、表面がクラフトした雪面にナーゲルが食い込み、細かい氷が氷面の上を滑り落ち、チリチリと鈴の様な音を立てる。アイゼン無しで十分だった。
 大好きで自慢の靴だったが、保守が大変だ。鋲はどんどん抜ける、底皮も痛む。でも修理出来る店も人も居なくなる。部品も手に入らなくなって行く。底皮は一回張り替え、全面トリコニーという凄まじい物にして、鋲の脱落は防げたが、一段と重くなってしまった。喜んで履いてはいたが内心気づいて来て居た。こりゃあちと辛いな。で、ビブラムに履き替えた。
 世の中がナーゲルを捨てたのは偶然では無い……。大体、ホームで滑って転び掛ける恐怖は、不要では?
 罵って下さい、結局あたしは使い易く、保守の楽な物が良いミーハー野郎です!

2009年2月8日日曜日

ただ一人の贅沢な夜 その三

 

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 話は戻り、ローソクの灯りで酒を飲む。唯々、静寂。最高に贅沢な夜なのだ。勿論寂しくは有るが、その寂しさこそを、楽しむべきなのだ。其の上この贅沢には経費が大して掛からない、という特典が有る。是非お試し下さい。あ、失礼、皆さんやってるに決まっているか。
 加入道から北へ向かう尾根は微かな踏み跡だったが、今は地図に路が有る。その踏み跡の時代。五月の風が爽やかなある日、道志村へ下って行った。麓の農家が見える。何か立っている。近づくにつれ、ノボリと鯉のぼりだと分かった。でも大きい。大体農家が大きいのに、左右に屋根より遥かに高く聳えている。もっと下ってやっと分かった。ノボリは風林火山、詰まり孫子四如の旗だ。
 屋根より高い鯉のぼり、と四如の旗。甲州都留郡の面目此処に有り、流石信玄公の国だ、と偉く感動致した事が有りました。そうです、私は、武田信玄公のファンなのだ。鯉のぼりの歌も大好きです。あ、いらかの波と雲の波、重なる波の、中空にー♪の方です。一度、本気で最後迄歌って下さい。感動する事、疑いなしです。私なんざ歌ってると泣けて来ちまう。
 そう言えば、早稲田の同期会か何かで校歌を歌い、三番の「集まり散じて人は変われど」のフレーズで必ず泣き出す人がいると、何かで読んだが、さも有りなん。わたしの友人にも「長崎の鐘」を歌うと必ず泣くのがいる。人それぞれ、泣ける歌が有ってこそ幸せなのでしょう。
 ちなみに大室山から東に向かう尾根が、相模と甲斐の国境で、大室山から延々三国山迄続いている。諸窪沢ノ頭からは東海道自然歩道だ。諸窪沢ノ頭から東南に行くと、畦ヶ丸へは僅か三十分弱で着く。そう、畦ヶ丸は相甲国境から相模側へ外れているのだ。
 大室から諸窪沢ノ頭へ向かう相甲国境線は、右直ぐ下に道志道が望め、左は唯々山と谷が続くと言う変則的な尾根筋で、細かいアップダウンは煩いが、結構楽しい山道では有るし、余り人と出会わない主稜線なのだ。そうです、此処は丹沢の背骨の一部なのですぞ。
 加入道山の避難小屋に泊まらず、ブナの巨木の下で幕営した事があった(前にも書いたけど違反なので内緒だよ)。ガスの深い夜だった。仲間と一緒だったので、小屋は避けたのだ。一晩中雨が降っている。天幕にぽつぽつと、小降りなのだが雨音が絶えない。明日は回復するかと心配な一夜であった。
 翌朝は曇り。出て見ると天幕の周り、正確にはブナの巨木の周りだけが濡れている。つまり、ガスがブナに付いて水滴となって、あたかも雨のように落下していたのだ。思わず仲間と笑い合った。何だ、俺達だけが雨降りだったのかよ、はははは。横浜の人は幸せだ。丹沢が有る限り水に困る事は無いだろう。
 大室山は西丹沢の盟主で有る。何処からでもどっしりとした姿が分かる。その代わり、どう登っても、長い登りにうんざりさせられる山では有る。もっとも白石峠経由で登れば割と楽ではある。道志側から登ればもっと楽だ。その代わり加入道も登らなくてはならない。良いじゃない、どうせセットの山なのだから。山の感じも甲乙着けがたい味わいが有って、地味な静かな山が好きな人向けです。
 そう言う私には、大室山は今でもその姿を見ると、空に“喝采”が流れる山なのである。(分からない人は、「三度も挑戦した変な沢」を参照して下さい)

2009年2月7日土曜日

休題 その二

店 001

 地球に優しいという言葉が嫌いです。従って地球に優しいという言葉が嫌いな奴を嫌いという方は、此処を飛ばして下さい。
 本来、男は好き嫌いを口にするもんじゃ無いとの考えだが、余りに当たり前の様に地球に優しい大合唱が聞こえるので、此処には殆ど誰も来ないんだから、異議を申し述べてもバチは当たるまいと書く事にしたのです。
 地球に優しいとは勿論生物環境に優しい(?)の意で有るのは分かっている。もっと明確に言えば、人類にとって宜しいとなる。生物環境に宜しいとは、個々の生物を愛おしむ気持ちも有るだろうが、結局は其れが人類にも宜しいし、人類外生物に人類は完璧に依存しているからでも有ると思う。
 何故ハッキリと人類生存にとってより良いと表現しないのだろうか?お説教っぽくて詰ま らないからだろう、多分 。
 それより、地球に優しいと表現した方が如何にもあらゆる物を包括し其れを大切にしましょうと思わせる、良く考えたコピーだ。
 世の中には臍曲がりが居るもので、嘘くせー!!と感じてしまう不幸者、たとえばあたしなんかですな。 何処が嘘っぽいかというと、地球は優しくして欲しいとは思っていないし(地球は考えない!)、人類や生物が死のうが絶滅しようが、何の関係も無く太陽系の第3惑星で有るだけで、勿論それ以外の何者でも無い。
 一歩譲って地球を擬人化するのは良いが、優しくするとはこっちが保護者の言い方であって、勘違いにも程が有るとはこの事。まるで水槽に飼われているメダカが「おい飼い主、お前に優しくしてやるぞ」とのたもうたと同じ?否、もっと酷い。もしメダカがそう言ったら可愛い。人類が地球にそう言うと、傲慢愚劣。
 何とかという方程式(何だよ?)が有って銀河系に高等生物の存在する確率を弾き出すのだそうだが、変数が定まらず解は不定でも、一応100~1000らしい。1000~2000億の星系のうちでだ。詰まり地球は奇跡の一つで有って、掛け替えは何処にも無く、SF映画の様な宇宙移住なぞ夢の中の戯言で、地球に住めなくなれば人類は皆死ぬだけだ。例外は無い。ま、さっぱりしてて良いや。
 地球を擬人化して何かを言うとしたら、有り難う御座います、大切に致します、慎ましく暮す事をお許し下さい!が正しいのではないのだろうか? 地球に優しいなぞと聞いて、何とも思わない(と見える)世の人々や特にそれを言うマスコミや企業の正気を疑ってしまう(え、あたしの方が変だって?多分そうでは無い)。
 好き嫌いだからあくまで感性の問題だが、耳障りの良い空虚なスローガンは止めて貰いたい。本当の事を言うのは結構だ。クーラーは全廃、車は一切廃止、エレベーターは取り外す。少なくとも生物環境には優しいでしょうなあ。でも暴動が起きるかな?

2009年2月4日水曜日

ただ一人の贅沢な夜 その二

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 大室山と加入道はセットと書いたが、両ピークの間のアップダウンは意外と大きい。最低鞍部を破風口という。何だか凄く洒落た名前で、高校生の頃から、印象に強く刻まれている。ね、そう思いませんか?破風口って素敵でしょう。
 名前に背かないキレット状、とはちとオーバーだが、鋭い峠で、確かに何時でも風が渡って(偶然かも知れないが)いた記憶が有る。この近辺の秋は、ブナ林の黄葉で、一面黄色くまる感じだ。空気まで黄色く染まる。私には堪らなく素敵な情景だが、紅葉を求める方には余りお薦めしません。
 加入道には昔から避難小屋が有る。八年程前にも泊まった。秋の小雨の日だったので暮れるのは早い。ローソクの灯りを友に、静かな夜を一人過ごすには、そう、何たって酒。何が無くても、酒。
 自慢ではないが私は、山で酒には困らない為の準備は万全を期している。少々食料装備には目をつぶっても酒は確り担ぐ。春山なんぞで幕営地点に着くと、先ずチューハイを出し、雪に埋める。チューハイは一番取り出しやすい所にしまってある。
 フッフッフッフ、この心がけが大切なのだ。酒飲み登山者の本領、此処に有り!ま、目をむいて力む程の事じゃ無いけど……。たまに、何処に埋めたか分からなくなり、大慌てであちこち雪を蹴って探し回る。丸で馬鹿な犬と同じで有る。
 天幕を張り、雪もコヘルに詰めてバーナーにかけ、天幕内の片付け準備万端整えて、それではと、チューハイを掘り出す訳で、勿論ギンギンに冷えている。それを飲むのです。雪山に囲まれて飲むのです。書いていて涎が
垂れそうになる。
 天気が悪ければガスと風の中、或いはミゾレに叩かれていたりするが、ふん、こっちは天幕内だから平気なんだよ!
 飲むと、ぶるるっと来る。この為に雪山に来たのだ、と錯覚する一瞬で有る。あれ?錯覚 ではないかも知れないな。其の為かも知れない……。
 うっかり冬山にビールを持って行った事が有る。何とち狂ったのかね。栓を開けたら泡が僅かに出て凍り付いた。勿体無いので、融かしたが、すっごーく不味くて、一口飲んで捨ててしまった。我ながらお粗末です。 (ただ一人の贅沢な夜 その三へ続く)

2009年2月1日日曜日

休題 その一

店

 閑話は山の無駄話、休題は文字通り山とは全く関係無い話。何ふざけてんだかねえ。でも、あたしゃあそんなもんです。(え、失礼だって?そう言われればそうなんです、ペコリ)
 十七年程前に隣町(千歳船橋)から祖師谷大蔵に越した。元の家から歩いて楽に行ける所なのだが、別世界だった。分かり易く言えばモロ下町だった。商店街が南北に長く伸び、あらゆる商店が元気溌剌、八百屋の前を通ると、親父と子供が何時でも叫んでいる。
「らっしゃい、らっしゃい、安いよ!」
 何時でも客だらけで客を捌くのに大忙し、夕暮れ迫る町にあちこちの店の呼び声が響き渡っていた。八百屋は単体では生きられないのが世の習い、魚屋、肉屋、乾物屋とチームを組んで一つの単位である。其の周りに豆腐屋だとか、酒屋だとか、お菓子屋だとか、写真屋だとか、ETC……。皆元気でした。
 スーパーも有った。Sは洒落た店、Oは庶民的、Fは安売り、でもどうにかバランスが取れていた。
 破局は何時か訪れる、この世に永遠の繁栄は無い(これだけはお馬鹿な私も断言する)。きっかけは法律の変更(改正とは言いたく無い)なんだろうけど、駅そばの長崎屋が潰れ、大手のOZが出店して、祖師谷の町は過酷な戦場となって、結論から言えば、古い商店街は事実上滅びた……。
 OはOZの攻勢に何とか頑張っていたが、所詮地元スーパー、大資本に勝てっこ無い。其の上追い討ちが掛かった、これまた大手のSAMが参入(駐車場迄完備、つい私も行ってしまうのは無理からぬ事です)Oは消えた。同時期にSも消えた。Sの後に世界的小売業(W)のス-パー部門Tが開業。最早祖師谷舞台のスーパー大戦争。
 大資本同士の壮絶な戦い。何でもどんどん安くなる!万歳!!D系列のFはもっと強力なBに変わって参戦、安売りの町祖師谷!!
 で、小売業は死んだ(と言えるだろう)。知らぬ間に店はポツリポツリと閉まって行った。もう呼び込みの子供の声は、祖師谷の町には響かない。親父はぼんやりと、スーパーの袋をぶら下げた人を見送っているだけになった。その姿を見るのが辛く、あたしは目を逸らせて通った。
 で、町田に来ました。あたしの住む北口方面には、やけに古い商店が残っていて、結構拘った良い物を並べているが、殆ど客は居ない。置いて有る物は驚く程良質なんだが。又あの商店の滅び行く姿を、あたしゃ見なきゃなんないの、そんなの嫌だなあ。
 ところがどうしてもそうなってしまう。理由は簡単、便利が全て。一ヶ所で買い物が済んで、しかも安くて(場合によってだが)、ポイント迄付いちゃあ、当然ですよ。政府のせいにはできない。
 かと言って何もできない……。

  滅び行く各地の商店街への
        哀悼の意の章です。