2016年10月15日土曜日

偏見及び誤解について その四




☆山男(女)は歌が好き
 大分前の章で、ラベルで言えば「山の歌」、と言うのが有った。題名は「雪山賛歌」だ。文字通り、昔々山で歌った歌を羅列したのだ。
 其処では、登山者は皆山で歌を歌うのが好き、が前提になって居た。そう、昔は誰でもそうだった、山では何かと言うと歌った。歩いて居てすらも歌った。キャンプ地なぞでは合唱の輪が出来た。
街には歌声喫茶なるものが有って、大勢がアコーデオンに会わせて思いっ切り歌って居た。熱い時代だったんです。
 今じゃあ歌声は絶えた。全滅ではなかろうが、キャンプ場でも歌声を聞いた事が無い。笑い声は聞こえるんだけどね。どっかで誰か達は山の歌を歌い続けて居ると思いたいのだが、私の知る限りでは、無い。
 従って、これは間違いって事でしょう、残念だけどね。

 色々並べて見たが、結局昔々の登山者像だった訳だ。それも私の抱いて居る登山者像なのだ。自分で提示して、時代が違うと自分で否定する、って馬鹿な結果になったのは当然の事だろう。
 散々述べたが、登山と言う行為自体が変貌を遂げた。街のグランドの延長かと思われる程なのだ。トレイルランにしても山はフィールドに過ぎない。殆ど荷物も持たず、厳しいレースでは二十四時間、半走りに頑張りぬく。
 大自然の中を行く、と言う感覚から大きく離れて仕舞った。そして其の舞台も段々と高山へ移りつつ有る。今に北アルプスで空身に短パン姿の選手を見掛けるかも知れない。もう既に走って居るかも、で有る。
 私は随分と古くなったのだろう。未だに山には畏敬の念を持つべきだ、と思って居る。ちっぽけな人間なんざ、大自然に生かされて居ると確信してるのだ。
 従って、山男(女)に対する勘違いが、事実で有って欲しいと真剣に願って居るのです。
 (此の章終わり)

2016年10月11日火曜日

休題 その百七十九




 Toは小さい乍らも蒲田の工場主だ。日本の技術を支えて居る一人なのだ。あたしなんざ何も支えてない。Toに登山用具が集まるのは、其の差なのだろうか? 確か、リュックも町会の仲間に貰ったとか。
 其れは良いだろう。確りした物で固めるのは基本だ。底が剥がれる靴や、背負い紐の切れるリュックや、雨の漏る雨具では話にならない。
 一方あたしは普段使いの物を山で使うタイプだ。現に其の日も、長靴を履いて居た。雨が本降りだったので地下足袋ではグチャグチャになる。じゃあ、長靴で行くべえさ。歩きにくいだろうって? 其れが何さだ、へん。
 うーん、登山用具が集まらないのも分かる気がする。山道具に嫌われちまうんだ、きっと。だもんで買い物も今一つなんだべよ。
 買い物と言えば“名人Y”。良い物を安く買うとは何度も書いた。その裏には、しょっちゅう山道具屋を覗くと言う努力が有る。
 お盆の大室山に新品の羽毛シェラフを持って行ったとは紹介済だ。夏用を二つ買ったのだ。ダブルで使えば雪山でも充分通用するし、冬山用を買うよりずっと安い。
 随分前からそうする様に薦めて居たのだが、其の訳はYの化繊のシェラフがかさ張るだ。保温力には問題無いのだが、小さくならずにパッキンの時は何時も大汗をかいて居る。
 そして丁度シェラフの安売りをして居る時に、夏用を二つ購入したのだ。此処までは良く分かる。えーーっと驚いたのは、三シーズン用羽毛シェラフも安かったので、つい購入したと言う事だ。
 三つもまとめて羽毛シェラフを買ったてえのけえ? そういう事。ね、驚くでしょう、普通は。
 尤も、三シーズン用と夏用を組み合わせれば本格的冬山でも使える訳だから、一度冬山へご招待でもしますかな。(続)

2016年10月8日土曜日

誤解及び偏見について その三




☆登山者には哲学的要素が有る
 書いて居て笑っちまっただよ。ないない、全然無い(笑)。うーん、此れじゃあ身も蓋も無いですなあ。一寸と考えて見よう。
 昔は確かにそんな傾向は有ったかも知れない。エリートのスポーツだった頃は、だ。登山が未だ厳しい世界だった頃の事だ。勿論、大正から戦前迄の話だ。
 其の頃の文献は多分に思索的で有った様な記憶が残っては居る。我乍ら歯切れが悪い文章ですなあ。はっきりした記憶が無いもんだで、つい。 調べれば? 嫌だね、面倒っちいもんねえ。 話にならない。。。。
 昔の頃はいざ知らず、今となっては哲学なんざ薬にしたくとも無い。あくまで私が様なダメな登山者の見る処なんだけどね。
 では、まあ高級登山(言葉は無いが)水準をクリアーした(筈の)登山者のNやIならどうだろう。 だっはっはっはっ、NやIが哲学だってかあ、俺の方が遥かに増しってな
もんだぜ!
 其の通りだ。NやIだって哲学位学んでは居るが、全く(殆どでも良い)無縁な諸君で有る。どんな岩壁を登ろうと、深雪のアタックを耐え忍ぼうと、彼らに哲学の臭いは無い。
 今は登山がアッケラカンとした世界になってしまったって事だろう。奥秩父の樹林の中で思索する人は居ないのだろう。冬の槍ヶ岳で人生に思いを馳せる人は居ないのだろう。
一人か二人(或いは十数人)は居るかも知れないけどね。
 山登りも、高率・効率第一。如何に無駄なく目指す山を歩くか、或いは壁を登るか、或いは飲んだくれ山行をするか。三番目は語るに堕ち居るので忘れて下さい。
 従って、哲学が入り込む余地は無くなったってこってす。(と言い乍ら、少しは有るのでは、と信じてるですよ)

2016年10月2日日曜日

休題 その百七十八




 ありゃりゃ、山の話は閑話、其の他の話は休題と決まってるのに、山の話を休題に載せちまった。惚けだなあ(涙)。
 泣いてばかりいたって 幸せは来ないから♪ って訳で、この侭行っちまおう。誰にを掛ける訳でもないしね。
 写真はこの日のものでは無い。別の日の別の場所。何故か全く無関係ですなあ。
 権現山を発てば、後は軽いアップダウン。雨は降ったり上がったりで、権現山で休んで居た四人の(多分)山ガールを抜いた事位しか出来事は無い。
 でも、其の時に結構話が弾んだ。山ガール自体をToが全く知らなかったので、説明した訳なのだ。
 山登りに興味を持った女の子を指す言葉で、特徴は可愛らしい装備で固める事。服装パッツ(雪山用のではなくタイツの事。但し段階圧迫の高機能品)の上に巻きスカー短パンだ、と。
 お蔭で山に来る若い男性も増えたので、非常に結構な事だ、とも説明した。晴れて居たらあの四人の姿を見て一目瞭然だっただろうに、皆さんカッコイイ雨具で身を固めて居たので、無理だったですなあ。
 山ガールを目指すと、初期費用としてどの位掛かるか、此の説明はYが力の入る部だ。靴、スパッツ、短パン、帽子、二本ストック、リュック、水筒、雨具、カップ等の物、磁石、etc。
 どれもこれも決してバーゲン品では無い。可愛い色の品物で固めて居る。名人Yの見立てでは、安く見積もって十万、一寸と拘れば十五万と算定された。まあそんなとこだう。
 何故名人Yかと言えば、彼は良い物を安く買う名人なのだ。あたしは真逆で、変な物を高く買っちまう。此れは前にも書いた(涙)。
 処でToはバックスキンの洒落た登山靴と、確りした雨具でバッチリ決めて居る。前会の仲間に貰ったゴアの靴だったのだが、長男に革靴を貰ったので履いて来たと言う具は二男がくれたとの事。何なんだ、勝手に山道具が集まって来るのかよ。(続)