2015年4月13日月曜日

雪山賛歌 その七





 ついお休みが長くなったので、本文再開です。 

☆小さい秋みつけた
 誰かさんが 誰かさんが 見つけた 
 (中田喜直氏の曲。彼は、夏の思い出、雪の降るまちを、と夏秋冬の名作を残して居る。何故春の歌がないのかとの質問に、父が書いて居ますから、と答えた由。父とは中田章氏で、早春賦の作者で有る。私は此の話が大好きなので、長々と書いた(ペコリ)。例に依って冒頭のみ。
 春は名のみぞ 風の寒さよ)
☆翼を下さい
 今わたしの 願い事が かなうならば 翼が欲しい
 (私の大好きで大嫌いな歌だ。何と素晴らしい曲に、何と逃避的な詩!)
☆手のひらを太陽に
 ぼくらはみんな 生きている
 (ぼくらはみんな生きている、と言うコミックが有った。ラストは鳥肌が立った。歌じゃないって?失礼しました!)
☆遠い世界に
 遠い世界に 旅に出ようか
 (やけにコメントが多くて御免!此処いらだけなので勘弁してちょ! お馴染みのYは声も良いし歌も巧い。秋の蛭へ登って居る時、私は大声で此の、遠い世界に、を歌って居た。Yが言う、「歌が巧いね」。彼に歌を褒められたのは最初で最後だ。状況だろう。私は山で大声で歌う男だったのだ)
☆遠くへ行きたい
 知らない街を 歩いてみたい
☆友よ
 友よ夜明け前の 闇のなかに
 (全共闘の定番でした)
●民謡
☆竹田の子守歌(京都)
 守(もり)も嫌がる 盆から先にゃ
☆武田節(山梨)
 甲斐の山々月映えて 我が出陣に憂いなし
 (民謡とは言えないかも。流行歌かもね)
☆峠の我が家(米)
 空青く山は緑 谷間には花咲き
☆ともしび(ロシア)
 夜霧のかなた 別れを告げ 雄雄しきますらお
 (代表的歌声喫茶の店名になった)
☆トロイカ(ロシア)
 雪の白樺並木 夕日が映える
 (奥秩父縦走のA班として私とNが先発し、泥棒に落ちぶれた話は「酷い目大会」に書いた。其の時A班(あーはんと発音)節と称して此の歌を大声で歌ったもんだ。Nは覚えては居ないだろう)
●山の歌
☆旅の歌(北帰行の替え歌)
 今日も静かに暮れて ヒュッテに灯ともる
☆小さな日記
 小さな日記につづられた 小さな過去の事でした
 (流行り歌に入れようかと思ったが、山の歌として認知されて居ると判断したのです。でも、流行りましたなあ)
☆遠き山に日は落ちて(ドボルザーク)
 遠き山に日は落ちて 星は空を散りばめぬ
 (キャンプファイヤーの歌です)
 (雪山賛歌 その八へ続く)

2015年4月10日金曜日

休題 その百四十四




 腹膜炎の手術と其のショック症状の為に、十歳は老けて退院した。大体からして体の熱を生み出す能力が、著しく低下した。
 やっと我が家の布団に寝ても、寒くて震えが走る。何時までも布団が温まらない。我慢にも限界が有る、駄目だこりゃあ。
 結局毎晩湯たんぽを抱いて寝る羽目となった。冷えた布団を温める体温が無いのだから、致し方ない。結構情けない話では有る。
 一月末の退院だから、未だ未だ寒さが続く。湯たんぽで腕を温め、腹を温め、胸を温めてから、やっと眠れた。不思議と足は寒くないのだ。普通は足が冷たいだろうに。
 身体からフケの様な粉が落ちる。老人性の何たら言う症状だそうだ。妻があたしの父母の面倒を見てくれて居た頃のお馴染みだ。
 え、其の症状が出た時父母は八十だったが、あたしゃあ未だ六十七だよ、幾ら病気の所為だったって、早すぎねえだかよお(涙)。
 嘆いたって仕方ない。なっちまったもんはなっちまったもんだ。何、其のうち治らあね。直らなくたって死ぬ訳じゃなし、フケ位何だってんだ、へん。
 入院中、尿管が外れてからは尿量を測って居た。面白い事に昼間は殆ど出ない。寝ると出る。其れも一時間から一時間半おきにだ。然もたっぷり出る。寝て居る間もない塩梅だ。
 退院してからも其の症状は残った。但し、二時間から二時間半おきに緩和された。其の状態が一月続き、幸いにも今は消えた。あれは何だったのだろう。
 歩くのも遅くなった。ノロノロ歩いて居ると皆さんが追い越して行く。縦走中の様で笑うに笑えないので、笑って仕舞う。泣くよっか遥かに増しだろう。
 思いも依らずに十歳老けると、大分ショックでは有るけれど、命が有っただけ増しなのだ。其れに、又十歳戻せば良いだけさ。

2015年4月7日火曜日

閑話 その百五十二




 さて、昭和の何年頃だろう。本文にも有るけれど、稜線を取り違えて支尾根を下り、不時露営となった時の事だ。
 結構な斜面にテントを張ったので、居住性は最悪だっただろうが、其れよりも自分の位置が不明瞭なのと、翌日の心配が大きくて、居住性なんぞ全く記憶にない。
 翌朝は、良くない天気の中稜線へ登り返し、一瞬のガスの切れ間で進む方向を決められたのはラッキーで有った。雪の上での地図と磁石も、完璧にはいかないもんで。
 磁石は真北を指すとは限らない。特にあたしの持つ安物はだ。身に着けた金物の影響を受ける。地質的に磁気が発生しているかも知れない。
 全く見通せないピークで、下りを十度違えただけで、飛んでもない所へ下ってしまう。現にそうだったし(涙)。
 其れが見渡せれば、何と言う事なく次のピークを目指せる。天国と地獄とはチトオーバーだが、そんな感じでは有る。山とは(特に雪山は)お天気商売なのだ。
 其の上詰まらない間違え迄しでかして、清水に着いたのは夜になって仕舞った。お蔭様で腹はペコペコ、バス停近くの民宿に飛び込んで山菜蕎麦を注文した。其の民宿が前章の電話を借りた店だったのだ。
 最終バス迄時間がない。民宿のおばさんは手早く蕎麦を出してくれた。「慌てなくて良いですよ。私がバスを止めておくから」、と道に立って居てくれた。
 何と優しいお言葉。熱い蕎麦を必死に啜り乍らあたしもバスを気にしていた。山菜がどっさり入った蕎麦だった。冷え切った体が生き返る蕎麦だった。
 無事にバスに間に合った訳だが、あの蕎麦は忘れられない。民宿のおばさんの親切も忘れられない。
 体が元通りになったら、又山から清水に下って、山菜蕎麦を食べるのです。

2015年4月3日金曜日

閑話 その百五十一




 前章と前々章で、白毛門から清水部落へ降りた話をした。平成三年と十八年の事だと書いた。
 調べると、平成九年にも清水部落に降りている。単独行で谷川岳から縦走した。山中二泊して清水に着いた。
 本文で取り上げたエピソードなのだが、随分前の事なので、重複を承知で書こう。もしも本文を読んでいたら、御免なさい。
 平成九年の時の話。清水部落に着いたは良いが、バスが無い。有るには有るのだが、四時間待たねばならない。TAXIを呼ぶの一手なのはお分かり頂けるだろう。
 TAXIを呼ぶ為に、一軒の民宿で電話を借りた。其処でTAXIを待つのだ。すると民宿のおばさんがゼンマイとお茶を出してくれた。唯単に電話を借りただけなんだよ。一体何なんだ、貴方は仏様なのか!
 美味しいゼンマイとお茶でした。TAXIが来た時、さり気無く五百円玉を置いて出た。あたしは其の類の行為は好きではない。チップを置いたと言う事だから。あたしゃあ日本人だもんで、チップを置いてスマートに去るなんて、全く好きくないだよ! 大体スマートでは無いし。
 でも、其の時はそうせざるを得なかった。余りに受けた恩義を大きく感じたから。外にやりようが無かったのだ。
 清水の山菜は凄いらしい。読んだ事だが、民宿で出る山菜は半端では無い様だ。えー!と言う水準の様だ。スキーの諸君のブログで仕入れた情報だが、さも有りなん。
 現に清水の山菜蕎麦で経験している。其の話は昭和に戻るので又次に。(続)