2009年9月11日金曜日

閑話 その三十

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 閑話二十九は見方が甘かったので、先ずお詫び致します。
 何が甘いかと言うと、難しいのだけど、倅とのディスカッションで(奴はインターネットの情報を元に)、判明したのは詳しい遭難状況で、其処迄は新聞或いはテレビは決して追う訳は無く、目先に飛びついて行くのが宿命で、マスコミとは本来そう言うもんです(疑う方はミュージカルのシカゴを見てね)。
 乏しい情報を基にアップしたが、もっと正しい情報が手に入れば、又話も変わります。
 先ず出発が遅れた、天候が悪いから、まあ良い。稜線に出たら吹き飛ばされる様な風だった。
ガイド「這って行って下さい」
 此処迄は良い、多少の苦労は山なんだからして貰いましょう。登山ツアーなんです。
 さて、一人が動けなくなって、ツェルトを張ってガイド(三人のうちの)一人が付き添って停滞、本隊は前進。此処であたしゃあ理解不能、何で???
 其のうち又一人歩行困難、テントを張ってガイド一人と男性客が付き添って、本隊は前進(死ぬぞ!)。
 えーー!皆さん何を考えて、或いは何を求めて、前進と決めたのだろうか。
 あたしゃあ登山者だと自分では思って居るのだが、滅茶苦茶なNやIから見れば登山者の範疇には無いとは心得て居る。極寒の岩場の小さなテラスでぶら下がり、半シェェラフで寝るなんて、やれないしやりたくも無い。物好きな奴がやりゃあ良いんだ!こちとらそんな立派な登山者じゃ無いもんねー(恥)。
 で、あたしが登山者のうちには入らない奴だと強調して言うのは、ガイドの皆さんと比べれば月とスッポンのあたしに物を言う資格は無いとは承知の上で、おまけに嫌なんだけど、仕方無く言いましょう。
 ガイドの諸君が余りにも判断が甘いと結論するしか無いのだけど、何も分からん奴に言われたく無い!と言う山のプロ達の非難は、甘んじて受ける。
 先ず、何で引き返さなかった、しかも初っ端に!それだけは絶対納得不能。一人動けなくなった時、どうして本隊を進める判断をした?此の時点で遭難でしょう、普通は。二人目の時は、何をか言わんや、だ。ガイド氏の判断を疑う。
あたしゃあ其の山に行った事は無い(ガイドの皆さんも)けど、山のガイドで有る限りは状況を読むのが仕事じゃないの?
 会社が何らかの縛りを掛けて居るのは当然なのは前章の通り。其の上ツアー客に命令する権限は与えられて居ない。でも、判断すべきだった、プロの登山家として……。
 きつい書き方でした。登山者の範疇にも入らないあたしは其の嵐の中に居た訳でも無いのに、安全な環境で偉そうにのたまう。それってサイテー!だから、嫌だけど、と書いたのです。(亡くなったガイドさん、生意気言って御免なさい!)

2009年9月8日火曜日

ハエの話? その三

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 トラックが列になって通る埃(セメントのです)っぽい道が結構長かった。当時から武甲山は削られ続けていた訳だ。武甲山殿、痛かったですか?(山にそんな事を聞く奴は変だと思うのは当然です。でも、私は聞きたいんだ!)
 登山道は未だ自然の残る気持ちの良い路だった。いけないのは頂上。我々零細山岳会のメンバーが弁当を広げようとしても、ハエが唸りを立てて襲い掛かって来る。あえて括弧なしで言うが、そんな感じの凄ざまじさだったのだ。
 我々はハエから必死に弁当を守りながら昼食を取った。中には一人や二人は、ハエも食べたメンバーもいただろう。それは多分、NとかKとか……。
 IやTは意外と繊細なので、多分ハエは食べないだろうと思う。Sも思いの外清潔だし、女性達も食べそうにないし……。いけねえ、変な話で引っ張っちまった。こうなりゃあ言い切ろう、ハエを食べてしまったのは、NとKだ。(多分)
 ハエの章ではなかった。でも、もう一寸と付き合って下さい。もうハエの話ではないので。
 その武甲山が、入山禁止になる時、Kが武甲山に行こうと言って来た。
K「おう、もう登れなくなるんだ、行こう!」
私「え?何時」
K「知らないのか、明後日だ」
私「え」
K「明日の夜発つぞ」
 Kは武甲山が好きなのだろう。私も好きではあるが、あえてあんな遠く迄行きたくはない。根が不精だし、ハエの印象も有るし、僻んだ記憶もあるし(執念深い?改めます!)。
 その上当時は西武鉄道で直行できなかったのだ。JR(当時の国鉄、分かってるって?失礼!)で熊谷あたり(だったけ?)で乗り換えて、やっと秩父に着けたのだ。遠い遠い秩父だったのだ。従って武甲山に登るのというのは一仕事だった。
 でも行きました、夜行列車で。だって武甲山とのお別れなのだから。行って良かった。お別れに来る人でごった返していたが、最後の武甲山に登れた訳だ。その上季節が違うのでハエはいなかった。ハエは置いておいて、Kよ、誘ってくれて有難う。
 話が飛ぶ事飛ぶ事ハエが飛ぶ。はい南山の仏果山でした。ふざけていないで纏めに入りましょう。
 仏果山近辺は登山道も完備され、たいしたアルバイトも無く山歩きが楽しめる様になった。目出度い。新緑が鮮やかだから、秋も綺麗に色づく事だろう。所々急な路も有るが、其処は気をつけて下さい。宮ヶ瀬湖の展望台として、絶好の山であると共に、丹沢主脈と三ツ峰を、見慣れない角度から楽しめるのです。

2009年9月6日日曜日

閑話 その二十九

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 北海道の山でツアーパーティ他の遭難で十人が亡くなったが(平成二十一年七月半ば)、此れには触れたくなかったけど、未だアップして居ない本文でも其の危険を表明して有るので、文脈上触れざるを得ない。
 装備がべら棒に良くなり、交通の便が良くなれば、山は身近となり誰でも入れて、場合に依っては3000m級の頂にも大した苦労も無く立つ事が出来るので、目出度し目出度しと言いたい処だがそうは問屋が卸さない。
 四昔半前の装備は、冬でもヤッケと称するコットンの暴風着と、同じくコットンのオーバーズボン、コットンの馬鹿でかいオーバーミトン、コットンの(書き疲れたよ)オーバーシューズかロングスパッツを紐でぐるぐる巻き付ける騒ぎで、マナスル登山隊の装備と変わり無い代物だった。
 夏だって、確りした雨具はゴム引きのズッシリした奴、テントもザックも綿布のゴツイ奴で、火気だって白ガソリンか灯油を使い、面倒極まり無い物だった。
 従ってある程度の山に入るには否応無く重装備となり、覚悟をせざるを得ないので、慎重な準備と下調べ、面倒ですなあ。
 今は北海道の2000m級(内地の3000m級に相当)へ、何とツアーで行ける。手間要らず、楽ちんですなあ。で、此の悲劇で有る。
 低体温症?昔で言う疲労凍死の事でしょう?パーティがバラバラになって、彼方此方で疲労凍死、大昔の遭難記を見るごたある。ばってん今は平成、昭和初期と違うとですよ。
 本文にくどく書く“山は自己責任”と言うあたしの主張からすると、各自の責任に於いて行動し、各自の結果となった訳なので問題無い筈だが、そう考えるのはパーティでは無い事が前提なので、詰まりパーティでは無かった訳だ。
 ガイドが付いて居ても添乗員と同じで、リーダーでは無いと皆思って居るだろうから、危険に曝されたらバラバラになるのは当然で、遥か昔の遭難話となる。
 あたしはテレビを見ないので、新聞記事を読んだだけだから、以上は勝手な想像でした。
 何を言ってるかってえと、山は自然なので荒れたら手が付けられない、そんな時に出くわしたら山のセオリー通りの行動を取るしか無く、パーティは纏って一番弱い人間に合わせて行動し、決してバラバラになってはいけない。
 其の前に、絶対に悪天候で行動してはいけない。危ないと思ったら停滞か撤退有るのみ!
 其のセオリーを守れないのがツアー登山の盲点で、乗る飛行機は決まって居るし、予定を狂わすと修復に偉く手間と場合に依っては費用も掛かるだろうから、少々の無理はするのだろう。
 ツアー登山を、此の事故をきっかけに、否定するのでは無く、安全な姿にするべく見直すべきだと、愚考します。

2009年9月5日土曜日

ハエの話? その二

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 その時は一度目だから、刺されても死なない事は分かっているが、怖くて動けない。刺されるのは痛いし怖いし嫌だもん。
 豪胆なSはさっさと行く。仕方無く臆病な私とKも、首を竦めてSに続き通過する。Sがいなければ、私とKは、日が暮れる迄佇んでいたかも知れない。
 新緑の頃だったからだろう。仏果山々頂は満員状態で、頂を外して小さな隙間を見つけ、弁当にした。身勝手なもので、こうなるとあの誰もいない藪山時代が懐かしい。と能天気に言えるのはあの痛さを忘れたからで、喉元過ぎれば痛さ忘れる、だったっけ?
 弁当といえばSは何時も奥さんの手作り弁当で、それもとても豪華なのだ。喜んでご相伴にあずかっているが、私もKは大体がコンビニのサンドィッチだ。愛され方の違いは、如実に弁当に表れるものなのだと、学んだ私とKなのである。
 ん、そういえばKもたまに愛妻弁当の事がある。「いや、女房が作ってくれてさ」とか、変にニヤついている事も結構あったぞ。うーん、するってえと一体、私の立場はどうなってしまうんだ……。
 別の時、仏果山々頂に立ったが、暑い時期で、手で払うとばちばち当たる程ハエがいて、閉口して逃げた事がある(もっとも閉口しないと、ハエが口にも入る)人が増えるとハエも増えるのかな?多分そうでしょう。現にそうだったし。
 ハエの思い出がもう一つ。零細山岳会で武甲山に登った。随分前から入山禁止になっていて、ひたすらセメントを掘りまっくっているので(セメントの山なのだ)、やがて丘になってしまうのだろう。とても立派な姿の山だったのだが。日本二百名山は、百九十九名山になってしまう訳である。百九十九名山は良いが、武甲丘になるのが、やけに悲しい。
 話を戻します。この時は余裕のある先発組は、前夜秩父に入って泊まった。余裕の無い私と数人の仲間は、夜行列車で追いかけ、朝合流して登り始めた。昨夜ゆっくり寝た先発組は楽しげである。追いついた我々はげっそりとして、生あくびをしている。えらいハンデである。
E「夕べは楽しかったわねえ」
H「本当よね」
S「良い宿だったぞ」
私「ああ、そうかい」
T「たまには、こういうのも良いなあ」
私「ふん、良かったな」
W「お風呂が良かったの!」
K「おう、本当だぞ」
I「それはお目出度さん!」
 お分かりの通り、Iと私は余裕のない後発組なのだ。楽しそうな先発組の話を聞いて、すっかり捻くれてしまう。でも私達を責められません!(身勝手ですなあ)
 (ハエの話? その三へ続く)

2009年9月2日水曜日

山の報告です その六

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 去年(平成二十年)の梅雨時、次女に沢登りに行くか?と聞くと、行く!と答えるので葛葉川を登った。
 勿論小雨の中、葛葉の泉から嘘の様に可愛らしい沢に入り、行くうちに小滝が連続して現れる。ご承知の通り、沢登り初級の又入り口なので、危険は無いと思うが念の為サブザイルで次女を確保し登らせる。
 初めのうちは滝を越えるとザイルを解いて居たが、林道を越えて傾斜が強まるに連れ、面倒なのでザイルを着けっ放しにし、あたしは其の端を持って進む。何処から見ても犬の散歩で有る。
 其の上沢登りが初めての次女は、急になってからはずーっと四つん這いだったので、此れで完璧な犬の散歩の一丁上がり!
 小さなガレ場から左へ折れ、セオリー通りに稜線下へ出たが、次女は四つん這い。
私「もう立っても平気だよ」
次女「……立ち方を忘れちゃった」
 はっはっは。
次女「ガラガラしてて登れなくても、紐(ザイルの事)が引っ張られて必死に登ったよ」
 はっはっは、文句無く犬が鎖に引かれて居る図です。
 唯一ヶ所、F幾つだったか忘れたが、滝に土砂が被り泥と石が邪魔で登れず、右を巻いたが其処で笹を頼りの泥とザレ登り、雨で確り濡れて居る上に泥を擦って、立派な泥塗れ二つ(あたしも)の一丁上がり!
 其処の土砂も、もう其の後の雨に洗い流された筈だ。(責任は持てないけど)
 次女は流石若さで、四つん這いでも紐に引かれて居ても、シャカシャカと危な気無く登り、休憩は沢の中で一回のみで、一気に大倉(雨なので三ノ塔は踏まなかった)へ下ったのはご同慶の至り。何でだって?野暮だなあ、早く酒が飲めるから!
 雨と滝の飛沫でびしょ濡れの体は冷え切って居ても、O屋のチューハイは格別で、次女は缶ビール、二人で「乾ぱーい!」と目出度い。尤も帰宅後長男が「一杯目は生をやるんだよ」と偉そうにのたまい、次女は「閉まった!」と後悔の臍を噛んだが後の祭り。
 貧しい父親に気を使ったのだろうが、生ビールと聞いちゃあ心が騒ぐって事ですな。
 ガレ場で左へ折れるのがセオリーだが、真直ぐ本筋を詰めた事が有る。三年前、Yと一緒だった。通る人は殆ど無いらしく無名の沢の詰め上げの雰囲気だが、ガレも小規模で薮も薄い。
 一ヶ所泥のギャップを突破する時、Yの組んだ手を足掛かりにあたしが上がり、サブザイルでYが登ったが、他には難無く二ノ塔と三ノ塔の鞍部直下に到着、行き来する登山者は目の前で有る、万歳!
 ところが最後の登りが赤土の急斜、Yは三度も滑り落ち転げ落ちる。結局、やっと登山道に這い上がったYは、見事な赤土人形の一丁上がり!

2009年8月30日日曜日

ハエの話? その一

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 済みません、前章は冗談なのだが、思いの外長くなったので、章として生かしてしまいました。(ぺこり)
 丹沢の東に山が有る(変な言い方、丹沢の山なんだから)。大山から大山三ツ峰を経て、土山峠で繋がっている。昔は南山と呼んだそうだが、丹沢の南に位置しているからではないだろう。大体からして、東北に位置しているのだ。何処の南なんだろう?
 丹沢山塊の東に、くっついているように見える山々であり、新幹線の車窓からも、それと良く分かる。最近はメジャーになった。宮ヶ瀬湖ができから。従って路も良くなり、展望台も造られている。小田急のパンフレットでも紹介されるようになった。
 昔はひどかった、それはそれはひどかった。高校の頃Tと登った。バスを降りても取り付き口が分からず、土地の人に聞いて、教わった山道に分け入った。コースは経ヶ岳から仏果山だ。
 因みに当時の其のあたりの人は完璧な“だんべ言葉”で聞き取るのが一苦労だったのだが、今は標準語のみである。隔世の感が有るとはいえ、一寸と私には詰まらないのだ。
 藪っぽい路が続いた。大した藪ではなかったが、私の装備が悪かった。半袖に短パンだ。常に引っ掻かれながら歩くのだ。痛かったかって?当たり前だ!経ヶ岳から仏果山もボサっぽい。唯々痛い稜線歩きで、景色なんざ記憶のかけらも無い。下りも唯々痛いだけだった。Tは長袖長ズボン、いかにも痛くなさそうで羨ましい。
 帰宅して風呂に入って驚いた。両手両足、ミミズ晴れが折り重なり、合間にしっかりした傷が走っているのは、棘に引っかかった痕だろう。手足共に腫れ上がり、その夜から熱迄出てしまったのだ。傷跡は、確りと三月は残ったという間抜けな話。
 余計なお世話でしょうが、マイナーな山に行く時は、長袖長ズボン、軍手も必携品。さもなくば、ひどく忘れ難い思い出の山になってしまうのだ。フッフッフッフ……。
 それから三十年近くたって、S、Kと出かけた。奇しくも同じルートだ。な、何と、藪なんて無い。何処にも無い。道標迄しっかり完備、あの苦労をどうしてくれんだよう!半袖短パンでも充分歩ける立派な路になっていた。メジャーになると、世の中が変わるのですなあ。
 半原越に来たら、クマン蜂が数匹唸りを立てて飛んでいる。怖いよ本当に。蜜蜂の十倍位の大きさなんだ!(そう見えた、へっへっへ臆病なので(恥))クマン蜂の飛行という曲が有るが、私が作曲家なら、もっと恐ろしげな曲にするに決まっている。
 私とKは立ち竦んでしまった。だって、一度刺されてもOKなのだが、二度目には、一回刺されて出来上がっている抗体が反応して、死ぬのだ。(何の為の抗体だろう?)尤も、そんな事は無いという説もある由だが、例に依っての無精者の私、調べもしないので分からない。 (ハエの話? その二へ続く)

2009年8月29日土曜日

閑話番外 その九

 前章で芝倉沢に触れたので、補足すると、昔々は沢の出会いあたりに成蹊大学山岳部の山小屋、“芝倉寮(?)”が有った様だ。此の目で見て居ないので断言は出来ないが、其の寮歌が山の歌の定番だったので、まずは有ったのだろう。
 「巻き割り飯炊き小屋掃除、皆(みんな)で皆でやったっけ」と言うあれで、覚えて居る人も居ると思う。あたしも良く歌った。一番広まった山の寮歌だろう。歌の通り「今では遠く皆去り、友を偲んで仰ぐ空」で有る。
 昔々は山ではしょっちゅう歌った。我々だけで無く、よそ様もそうだった。キャンプサイトで輪になって、山の歌を歌った。空に星が瞬く迄歌って居た。
 山男の歌、アルプス一万尺、雪山賛歌、アザミの唄、青い山脈、カチューシャ等々。
 今でもそうかって?飲むだけです!

2009年8月27日木曜日

休題 その二十三

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 博士の異常な愛情の続きです。
 本文にも書いたけど、ソ連(当時)の皆殺し装置は、似た様な物は未だに有るのだが、もっとマトモなもん(?)なんで、あれ程破滅的では無いとは判明して居るけど、一度(ひとたび)作動したらストップ不能で、本文では「安心して人類滅亡を心配して下さい」とかのたもうたが、其の通りに結構危ないのだ。
 アメリカにも有るのだろうか?公称しなけりゃ意味を成さないのだから、多分無いのだ。原潜と地下基地のICBM(多弾頭)で充分報復する自信が有るのだろう。それに映画のB52も未だに(!)現役だから、戦略核攻撃も行える訳だ。
 其のB52ですよ、アナログですなあ、当時は。何でも手動でダイヤルを合わせる。感動ものだと騒ぐのはあたしだけかい?
 話がずれた。陰の主役はB52の機長で、機長、何をするんですか!です。(古くて分からんでしょう、ふっふっふ)
 彼は任務を遂行するだけなんだが、描き方がメチャリアルなのは、キューブリックならではの拘りなんだろう。でも一寸とアブノーマルに描かれて居て、矢張りアブノーマル・ラブの世界だ。背景の音楽「ジョニーが戦場に行く時」(だったけ?)がこれまた嵌り過ぎの素晴らしさ!
 彼が実戦だと知って(本当は違う)、カーボーイハットを被ってから音楽が入る訳で、キューブリックはアメリカをおちょくってんのか?勿論そうなんで、ソ連も、或いは人類をもだ!こうなりゃあ、おまけに!!!!!
 全て雑にしか物事を把握出来ないあたしでさえ、今回の様に十何度も同じ映画を見て居れば、流石にメッセージは朧げには分かるのです。思い込みの可能性は否定しません。
 ハルは道具の象徴で(結局2001年になっちまった)、人が道具に使われる事になっては駄目だとのメッセージは完璧に伝わるので、皆殺し装置もおなじ、B52も同じ、空軍幕僚長(自衛隊じゃ無いんだから、別の名称だろう)も同じ、従って博士は、道具を象徴する(であろう)ナチをどうしようも無く引き摺って居て、右手は勝手に敬礼しちまうんで、噛んだり殴ったりする面白さは、文句の付け様も無く、天才に敬礼!(勿論、ナチ式敬礼です)
 道具に異存する人類は道具に支配されるに至る、がテーマ(おいおい、お前が決めるなよって?多分そうなんだよ!)なので、其れは正しいのだが、もっと深い処をキューブリックは見据えて居るかに思える。
 て事は、あたしの分析なんざ意味が無い?
 そうです、認めます、従って未だ見てない方は映画を見て下さい。

2009年8月24日月曜日

休題 その二十二

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 最初から謝っとくけど、判り切った話で、スタンリー・キューブリックです。イラストが間に合わず、他所の写真を張っちまって、済みません(ペコリ)。
 二十世紀の代表作に、博士の異常な愛情を挙げる声も割と多いらしいが、へっ、何を仰る兎さん、あたしに言わせりゃあさ、あれこそ二十世紀最高の映画で有って、あたしの単なる好みなのだろうが、マジっす。
 キューブリックがメジャーになってからの作品はたった十一作で寡作なんだけど、全部同じ監督?と思わせる多彩さ、斬新さ、切り口の新しさ(同じ?そうですなあ)、天才って言葉は彼の為に用意されたのかね。
 其の中であたしゃあ2001年と博士の異常な愛情をアゲです。
 2001年は文句無くSFの金字塔となって居るのは至極当然で、素人のあたしが四の五の言うだけ野暮だろうから、又何時か語りましょう。
 さて、博士の異常な愛情はそうは行かない。金字塔では無いようで、何でだろう?
 題名にもなって居る博士はやっと中番過ぎてから出て来るだけで、しかも出番は少ない。ま、多いと描くのが大変なんだろうから、無理も無いので、右手が勝手にナチ式敬礼をする車椅子の科学者を、しょっちゅう撮影するのは苦労なんだろう。(違うって?)
 現に、必死に右手を抑えてもがく博士を見て居るソ連の外交官が笑って仕舞って居たが、あのシーンがOKだったのは編集して居たキューブリックが笑っちゃって見落としたか、無理は無いとしてOKを出したかどちらかなんだろうが、完璧を求めるキューブリックでさえ、笑い転げて見逃したと思いたいシーンなのだ。(もし見てない人が居たならば是非見て見ましょう、その為にこそ此れをアップしたので)
 夫々の立場で夫々一生懸命考え、役を果たし、結局人類の破滅なんだが博士はそうは思わないのが良いので、大統領が呟く「人間は百年も地下で生きて行けるのだろうか」と言う言葉と綺麗な双璧を構成するので、此の二人を同一人物に演じさせたなは、よ、憎いね!因みに、英国の派遣空軍将校も同一人物なんで、三役です。本当に上手い役者だなあー!
 勝手に考えれば、結局破滅を前にどうしようも無い派遣将校と、結局破滅を前にどうしようも無い大統領と、破滅を前に得々と持論を述べる博士は同一人物?
 2001年と同じになっちまうが、視点を高みに置いてこそ見通せるので、神の立場で初めて描けるどったんばったんの人間模様、其れを見て笑って居るあたしゃあ唯の人。
 今日(平成二十一年七月二十九日)十何度目かに見直したが、泣けました。此の映画で泣けたのは初めてだなあ。空想的平和主義者にこそ見て貰いたい映画です。え、ヤバイ書き方だって?仕方無いでしょう、本当の事なんだから!長くなったので、続きます。

2009年8月22日土曜日

ふらっと寄り道一ノ倉岳 その三

 

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 夜中にツェルトに顔を叩かれ目覚めた。風でペグが抜けたのだろう。ツェルトは崩壊寸前でたなびいている。その癖やけに明るい。表に出たら、満月、煌々たる月明かりに上越の雪山達が照らし出されている。
 風の音がさぞ高かっただろう。併し全く覚えが無い。覚えているのは、シーン、という音なのだ。本当にシーン、と音がした。(と印象に残っている)
 月光に映える雪を纏った山々は、満月を頭上に戴き、シーンと静まり返っていた。(矛盾が有る、シーンという音を立てていた、が正しい)
 あんな神々しい風景は、他には無いんじゃないか、と今でも思ってしまう。尤もたった一人の雪山の幕営というシュチュエーションも、大きく物を言ってるんでしょう。あと煌々たる満月と強風も。
 ペグを埋めなおしたが、寝る気になれず(だって、ツェルトが青く光っているんだもん)コーヒーを沸かした。ラッキーな事にその時はインスタントではなく、レギュラーのカップ用コーヒー(知ってます?)だったのだ。本当に滅多に無い事だ。
 封を切った瞬間ツェルトの中は、コーヒーの香りで満たされた。私は蕎麦とお茶には拘るが、コーヒーには殆ど拘らない。でも、あの時の香りは、忘れられない。(禁煙の方御免)煙草の煙が、ビビビビビと震えたのは勿論です。
 本当は冗談で、次行こー、って乗りで始めたのだが、題名が悪かった。いっそ、チョモランマとかK2とかにすれば済んだものを。だって行った事が無いので、先を続けられないでしょうが。
 今は、芝倉岳(一寸と下る)にも一ノ倉岳にも避難小屋が有る。芝倉岳のは見ていないが、一ノ倉岳山頂のは、例のカマボコ型だ。
 説明します。コンクリートの土台の上にカマボコ型の鉄製で窓の付いた、立つと頭がつかえる様な避難小屋(ドラム缶?)。あんな珍しい小屋を考え出すのは、豪雪と強風の上越の人々なればこそだろう。笠ヶ岳も小障子も同型なのだ。面白いですよ。
 カマボコ型で一寸と困るのは、木の床が脆弱で、やけに揺れる事。動く時には声をかけ、火器を抑えないと間違いなく倒れてしまう。多少不自由でもでも、風には無闇と強そうだから良しとしよう。
 元馬鹿の私は幸せだった。当時避難小屋が有って誰もいなければ、其処に泊まるに決まっているから、きっとあの、シーン、という音を知る事も無く、人生を終えただろう。それは余りに勿体ない事だ。
 誤解した人、いますか?(いないと思うけど)避難小屋のお陰でどれだけの人が命を救われているかは、良く分かっています。でも、今の感想はあくまで私内部の話ですから、そういう事だと、ご理解下さい。
 冗談が長引いちまった。ふん、結局俺は野暮天だぜ!

2009年8月18日火曜日

閑話 その二十八

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 自慢たらしく装備の悪さを書いて居るが、嘘ではなくモロ古くてボロボロなのです。古くないのは購入した当座のみで、ずーっと使い続けるので結果としてそうなっちゃう。
 購入する時も、止せば良いのについ安い物を選ぶ悪癖に負け、安物で身を固める、えっへん。で、泣く思いをする事も有る。
 昔々半(二十五年前の事)、正月に千曲川源流を経て金峰へ歩いた。当然信濃川上からバスで梓山へ入ったので、前夜は小淵沢の駅泊で有る。
 当時の事だから待合室で眠れる。今は駄目、最終列車が通ると皆追い出され、シャッターが閉まって仕舞う。何処の駅(除無人駅)もそうで、山もやりにくくなった。やな時代になっちまった、昔は良かったなあ、何て後愛想で言ってるだけなんで、あたしゃあ其れ程は老い込んでない、残念でしたね~♪
 冗談は良いとして、小淵沢の待合室が、何とストーブを焚いて居る。う~ん、矢張り良い時代だったなあ。(今でもそう?そうかあ)
 処が良くないの。シェラフの中で暑くて堪らず汗だらけ、モゾモゾとカッターやズボンを脱いで何とか凌いだが、シェラフの中で衣類を脱ぐのは結構大変で、傍で見ている人は、モゾモゾ動く不気味なシェラフと思った事だろう。
 翌日は曇天の下、千曲川源流を目指すうち、正月の山中だと言うのに雨が降り出した。何だよー、普通は雪だろが!異常気象の先取りか?道理で夕べ暑かった訳だ。
 其処であたしのボロ装備がものを言うので、特価のゴアもどきアノラック上下は、元から粗悪の上賞味期限が切れて長いもんだで、雨が容赦無く浸み込む。ビッショリと濡れちまった、はっはっはっは。だって、冬山で雨は想定外なんだもん。
 前線通過に依り、異常な温風は一転して寒気となり(詰まり普通の冬の風になり)、哀れ濡れそぼったアノラックはバリバリと凍り付いて仕舞った。そして冬型に安定した極寒の山となったので、とても目出度い。
 此の日は甲武信から西の小ピークで幕営、凍り付いた服でシェラフに入っても、寒いの冷たいの、救いは羽毛でなく化繊だったので、シェラフがペッタンコになって凍らなかった事位、楽しい夜でしたよ!
 二日目は快晴の雪山、脛迄のラッセルが続き、国師の登りで五人のパーティと擦れ違い、「こんにちわ!」と挨拶も弾む。人に会うのも嬉しいが、此の先はトレースを辿れば良いので精神的にもすっごーく楽なのだ。思わずニタニタして居ても責めないで下さい。
 此の日は金峰の肩で幕営。森林限界を越えて居たので、如何にも冬山だなあと言う風情、凍って居て寒くて冷たくて、とても楽しい夜は前夜に勝るのだ、貴方をお誘いしたいです。
 帰って直ぐゴアのアノラックを買いました、其れもモンベルを思い切って。冬山で雨に会っても良いようにです。備え有れば憂い無し。

2009年8月16日日曜日

ふらっと寄り道一ノ倉岳 その二

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 思えば、そのやり取りが完璧に刷り込まれてしまったのだ。声をかけてくれた人が悪いのではないのは、言う迄も無い。私が至らない事夥しい。
 雪を登り始めたが、やけに傾斜がきつい。と、突然壁になった。しかも壁と雪はそっくり返って、大きく間が開いている。え、地図と違うじゃん。緩やかな沢なんだろう、芝倉沢は!一体どうなっちまったんだろう。
 おいおい、好い加減気づけよ、地図は何の為に持ってんだよ。丸で三ツ峰の馬鹿ップルじゃないか。あ、彼等の事を馬鹿にできなくなってしまった……。
 思った、そうか、雪が多ければ登れるんだ、五月じゃ雪も融けるよな。よし来年四月、雪の多い時期に再チャレンジだ!……本当に浅はかです。
 翌年四月、浅はか者が再び新前橋で蕎麦を食べて、土合に降り立った。土合に登ったと言うべきかな?どっちにしろご苦労な事である。
 此の年も雪を踏んでせっせと歩き、幽ノ沢を越える。さて、いよいよ芝倉沢だ。今年こそやるぞー!
 登るにつれ斜面は急になり、またもや壁になってしまった。左右を見ても壁だ。何でだろう?
 おまけにカメラまで壊した。諦めて下る前に写真でも、と思いカメラを出したら落とした。当時はバカチョン(固有名詞)を使っていたのだが、それが締まった雪面を跳ね飛びながら落ちる。慌てて追いかけ、大分下で雪渓の隙間に嵌ったカメラを拾い上げたが、死んでいた……。
 もう読めましたか?そう、堅炭沢だったのだ。地図に記載は無いが、案内書を読み直してその存在を知った。己の馬鹿さを、思いっ切り罵ってやりました。
 翌々週、三度(たび)馬鹿なあたしが土合に降りた。いっそ定期券でも買え、馬鹿!一寸と待って、考えれば馬鹿はひどい。二年かけたとはいえ、気がついたんだから、せめて、元馬鹿と表現してやろうじゃないか。(自分に甘くて失礼)
 今度は見事(?)に芝倉沢に入れた。地図通りの沢で(当たり前だ!)、心配していた雪庇も無く、無事に稜線に立てた。元馬鹿は三度目にしてやっと踏めた一ノ倉岳に感激していた。万歳、万歳、万々歳!
 書いていて、我ながら何とかなんないの?と思えてしまう……。
 とはいえ、この日は山を独り占め、一ノ倉岳にツェルトを張って暮らした。若い癖に贅沢な山登りでしょう?天気は最高、強風も最高でルンルン(エーン)。ツェルト内で煙草を吸うと煙が、風の当たる衝撃で細かくビビビと震えるのだ。結構面白い見もので有る。 (ふらっと寄り道一ノ倉岳 その三へ続く)